時事は「現場に駆けつける思い」で詠む 歌人・高野公彦さんが新歌集
言葉と人生を慈しみ、豊かな表現力で歌壇を牽引(けんいん)してきた歌人の高野公彦さんが第16歌集「水の自画像」(短歌研究社)を出しました。歌誌「コスモス」の編集人を務める高野さんに、コロナ詠をはじめとする時事詠との向き合い方や、歌作りで大事にしてきたこと、半生の歩みを聞きました。
――昨年春、短歌の総合誌「短歌研究」で読んだ印象的な一首が歌集「水の自画像」に収められていました。《てふてふが一匹東シナ海を渡りきてのち、一大音響》。新型コロナウイルスについて、ずいぶん早い時期に詠んだ歌ですよね。
短歌のなかで、いわゆる時事詠と呼ばれるジャンルがありますね。作品として良いものができるかどうかは別なんですけれども、何か事件が起こったらすぐ詠む、というのが僕のやり方です。じっくり様子を見る人もいますが、例えば太平洋戦争に対して、50年後には気楽に何でも言えるわけです。一方、すぐに作る場合は、いい加減に作るとピント外れの歌になることもあるわけで、真価が問われます。真剣勝負をするつもりで、いち早く作るという考えでやってきました。湾岸戦争や東日本大震災が起きたときも、まとまった数の作品を作って、すぐ短歌の雑誌に出したりしました。この歌も、コロナのニュースが伝えられてから、かなり早い段階で作ったものです。
――2004年10月から朝日歌壇の選者を務めていますが、ご自身が短歌を始めたきっかけも、朝日歌壇への投稿だそうですね。日賀志康彦という本名での投稿だったと。
初代選者の石川啄木から現在の選者に至るまで、朝日歌壇の投稿が短歌の出発点だという選者は僕ひとりだろうと思います。
受験勉強をして東京教育大学(現・筑波大学)に入り、大学生協で石川啄木の歌集に出会いました。まだ若いですから、「砂山の砂に腹這ひ/初恋の/いたみを遠くおもひ出づる日」なんていう歌を読むと、うっとりするわけです。僕も作ってみようと始めるうちに、だれかに見てもらいたくなって。下宿生活で朝日新聞をとっていたんで、朝日歌壇に投稿してみようと。
最新刊「水の自画像」に収められた歌《本当のわれに会ひたく歌を詠み、詠みて本当のわれ見失ふ》
(聞き手・佐々波幸子)
(2021-10-27 朝日新聞)