石川啄木と父、伯父 ―― 野辺地の縁 ④
「北の浜辺」とは 函館有力?野辺地説も
- 「潮かをる 北の浜辺の砂山の かの浜薔薇(はまなす)よ 今年も咲けるや」。石川啄木の処女歌集「一握の砂」に収められているこの歌について、弘前市立郷土文学館の櫛引洋一企画研究専門官は「啄木がかつて浜辺を散策し、自然や海、ハマナスの美しさに心打たれたことを懐かしんでいる」と解説する。
- 野辺地町の愛宕公園にこの歌の歌碑があるほか、北海道函館市の大森浜にある啄木小公園にもこの歌が刻まれている。では、北の浜辺は、野辺地町「十符ケ浦」と函館市「大森浜」のどちらを指すのか。
青森市の口語歌人・川崎むつをは野辺地説を主張。
啄木の義弟・宮崎郁雨も函館説に疑問を呈す。
国際啄木学会会長を務めた岩城之徳は函館追慕の情を叙したとみるべき。
八戸高専教授などを務めた四辺俊一も函館説の立場。
青森市の生協さくら病院の西脇巽名誉院長は「一般的には函館が有力と言われている。ただ、野辺地に行ったことは間違いないし、情景も一致している。否定する根拠はない。野辺地、函館両方だとしてもおかしくない」と語る。(兼平昌寛)
*この連載は5回の予定です。
(2021-10-08 東奥日報)
(つづく)