石川啄木と父、伯父 ―― 野辺地の縁 ③
対月開山 和歌短冊も 天間山正洞院
- 七戸町(旧天間村)の曹洞宗の寺院「天間山正洞院」は、石川啄木の伯父・葛原対月(かつらはらたいげつ)が1901年に布教所を造り、開山した。開山当時から、対月のおいで、養子となった2代目住職の葛原禅之(ぜんし)が正洞院での仕事をこなした。
- 対月と啄木の母、禅之の母はきょうだい。啄木の父・一禎が渋民村の宝徳寺にいたころ、禅之が啄木らと一緒に暮らしていた時期もあったという。禅之の四男・四津男は本紙に「当時の印象を、禅之は『一(啄木)は、実に賢くて人なつこい。かわいい顔をした子だった』ともらしていた」と記している。
- 現在の4代目住職・葛原隆男さんは対月について「盛岡の道場で剣道をやり、指南もしていた。和歌を詠んだり、茶道もしていたと聞いている」と話す。同寺には今も、対月が書いた和歌の短冊や写真などが多く残っている。
- かつては啄木が禅之に宛てた手紙もあったが、47年の火事で燃えてしまったという。隆男さんは「大概は借金の申し込みだったようだ」と話す。禅之は啄木に関し「社会で言われているような反体制的な人間ではなかった」という話もしていたという。(兼平昌寛)
*この連載は5回の予定です。
(2021-10-07 東奥日報)
(つづく)