明治大学教養論集
啄木短歌とZARD/坂井泉水の歌詞の考察
池田 功
はじめに
- 明治時代の文学者石川啄木(1886年・明治19年〜1911年・明治45年)と、昭和と平成の時代に歌詞を書きそれを歌った ZARD のボーカル坂井泉水(いずみ)(1967年・昭和42年〜2007年・平成19年)との間には、80年から90年ほどの時代的な隔たりがある。また男性と女性ということや、歌という定型文学に才能を発揮した啄木と、曲に合わせて歌う詞に才能を発揮した坂井との相違もある。
- ところが坂井は ZARD のメンバーに、啄木短歌が好きで啄木の歌集『一握の砂』に胸を震わせ、「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ/花を買ひ来て/妻としたしむ」が特に好きだと語っている。そしてそれは、坂井の歌詞「君がいたから」に、「友達(ひと)が自分より偉く見えたよ」と、ほとんど同じような表現となっている。これ以外にも、明らかに啄木短歌に共鳴を受けて自らの歌詞に取り入れていると思われる言葉を数多く見つけることができる。
- そこで本稿では、坂井の全歌詞を調べ啄木短歌の言葉とどのような類似性があるのかを調査したいと思う。
1 膨張としぼみの時代背景
2 類似する言葉たち
(1)街・都市の風景
(2)都市の通勤労働者哀歌
(3)競争社会の中で生きる
(4)鏡に映る自分
(5)「明日」へ
(6)懐かしい故郷
(7)癒しとしての海と砂・砂浜
(8)嬉しい時の口笛
(9)キス
(10)ポプラ
(11)胸に残る言葉
- 啄木短歌に「かの時に言ひそびれたる/大切の言葉は今も/胸にのこれど」がある。この歌は『一握の砂』の第四章「忘れがたき人人 二」にあり、この22首すべては啄木が函館弥生尋常小学校の代用教員をしていたときの同僚の訓導、橘智恵子に捧げられている。啄木と智恵子とは全く純粋な関係であり、啄木が上京してからは会うこともなく手紙のやりとりをしているだけである。岩城之徳は「大切な言葉」とは、「いうまでもなく愛の告白」であるとしている。
- 一方、坂井の「遠い日の Nostalgia」には、「あの日言えなかった言葉は今も/この胸の中で眠っている/あの時もう少し勇気を出せば 君を失わずにすんだかも」とあり、言えなかった言葉が胸に残っているという部分は全く同じである。なお、 ZARD のプロデューサー長戸大幸が、ZARD の音楽の柱になったのは「平成に生きる昭和の女」であるという興味深いことを語っている。長戸によれば、平成に生きる「“昭和の女”とは、好きな男の夢のために身を引く女で」あるという。「主人公がいて、恋愛対象の男の子がいる。彼は、ちょっとはにかみ屋で、いつまでも少年の瞳を持ち続けて」いる。そのため女の子は「彼を応援し続ける」だけで、恋を打ち明けることができないのである。坂井が書く歌詞には、そういう主人公の女の子が多く、大ヒット曲となった「負けないで」も同じテーマになっていると語っているが、この「遠い日の Nostalgia」の歌詞にも似たようなところがある。
3 啄木短歌と坂井以外の歌謡曲の歌詞との類似性
・石原裕次郎「錆びたナイフ」
・谷村新司「昴」「群青」
・大津美子・倍賞千恵子「純愛の砂」
・橋幸夫「孤独のブルース」
おわりに
評論家・松岡正剛『うたかたの国 日本は歌でできている』
- 「そもそも日本の歌は時や所を超えて継承されていくものだ。歌はもともと『うたた』するものなのだ。
- 『うたた』というのは『転』という漢字をあてる。歌は転々と『うたた』をしていくものなのである。『うた』(歌・哥・咏)という言葉の成立が『うたた』から転じたという語源説もある。
- 元歌や本歌を真似ながら、捻りながら、先送りしながら、歌は転々と『うたた』をまどろみつづけたのである。
- 少なくとも今回の坂井泉水の歌詞にみられる類似性に関して、インスピレーションを啄木短歌から得ていたかもしれないと思うと、啄木研究者としては嬉しくなる。おそらく啄木が生きていたら、啄木もそんなふうに思ったのではないだろうか。