石川啄木と父、伯父 ——野辺地の縁 ①
3度来町 没後に脚光 啄木の歌碑建立
- 「潮かをる 北の浜辺の砂山の かの浜薔薇(はまなす)よ 今年も咲けるや」。野辺地町の愛宕公園の中腹に、明治の歌人・石川啄木の歌碑が立つ。啄木の没後50年を迎えた1962年に建立され、現在も町の観光スポットの一つになっている。
- 啄木は3回、同町を訪れている。最初は04年9月29日。
- 啄木と同町の関わりは深い。啄木の母・カツの兄に当たる葛原対月が1895年、盛岡の龍谷寺住職から野辺地の常光寺住職として転住。15年間滞在し、その間、父一禎が師僧である対月を慕って3年ほど身を寄せていた。啄木が野辺地を訪ねた3回とも対月が同寺住職を務めていた間。
- 昭和30年代に入り、野辺地町と啄木との縁について話題が上り始め、1958年に同町初の「啄木会」が開かれた。61年に歌碑建設の会の創立総会が開かれた。
- 町歴史を探る会の鈴木幹人会長は「歌碑建立には、啄木とのゆかりを大事にしようという野辺地の人たちの思いがあったのではないか」とみる。(兼平昌寛)
*この連載は5回の予定です。
(2021-10-05 東奥日報)
(つづく)