〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

啄木は 我侭な成績優秀な美少年だった!? ~ゆかりの地を巡る旅~

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ギボウシ

天才詩人・石川啄木のゆかりの地を巡る旅~石川啄木記念館から啄木祭まで~

TVアニメ啄木鳥探偵處(きつつきたんていどころ)で人気が再燃中の詩人石川啄木。同氏の故郷である岩手県渋民村には「石川啄木記念館」があり、生い立ちや知られざる素顔に触れる事ができます。また、啄木の命日には「啄木忌」そして毎年春には市民による「啄木祭」も行われます。石川啄木をさらに深く知りたいあなたに、岩手で体験できる石川啄木ゆかりの旅をご紹介します。

 

・啄木は、我侭な成績優秀な美少年だった!?

玉山村にある寺の長男として生まれた啄木は、本名石川一(はじめ)といいます。隣村の寺の住職の急逝に伴い、渋民村へ転住。啄木は2歳の時でした。そして、渋民村の宝徳寺の住職の子として10歳まで過ごしました。生まれながらにして病弱な子供だったようですが、両親にかわいがられ、村の人たちからも「お寺の一さん」と大切にされ我侭いっぱいに育ちました。

13歳となった啄木は、盛岡尋常中学校(現 盛岡市立下の橋中学校)へ。128人中10番の成績で入学する優秀な生徒でした。

 

・天才といわれる啄木は、もともとは詩人を目指していたのではなかった

実は、神童といわれた啄木は、もともと詩人を目指していたのではなかったのです。なんと海軍士官になりたかったそうで、軍人志望の先輩方のグループに参加し、盛岡尋常中学校(現 盛岡市立下の橋中学校)では2級先輩で後に海軍大臣になる及川古志郎(おいかわこしろう)を慕うようになります。

この頃、中学校では文芸活動が盛んで原抱琴(原敬の甥)、野村胡堂銭形平次の作者)など多くの生徒たちが俳句や短歌、詩などを作っていました。及川古志郎から歌集や詩集を借りて読むようになった啄木に、「君が歌を勉強したかったなら、金田一君が中学一番の大家だから訪ねてみたまえ」と教えられたことから、東京新詩社の「明星」を借りるため金田一の自宅を訪ねます。明星を借りた啄木は、自身も東京新詩社の社友となり、回覧雑誌の編集を手がけるようになりました。そして金田一や同級生らと「白羊会(はくようかい)」を結成するなど文学活動に熱中するようになりました。


・詩人になる夢を持ち上京を繰り返す

・啄木をめぐる岩手の文学者を中心に記念館などを巡る

・啄木忌と啄木祭

・天才詩人石川啄木と同じ時代を生きた偉人たち、それぞれの歩みに触れる旅


コロナが落ち着いたら、ゆっくり自然を感じて文学の旅に出かけませんか。(この記事を書いた人 minta オマツリジャパン オフィシャルライター)

(2021-08-27 オマツリジャパン)

 

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