♬ mapで楽しむ「啄木の足跡めぐり」<8>東京都台東区 11 12
11 了源寺 啄木長男・真一の葬儀場
了源寺は、啄木が1909年(明治42年)~1911年まで家族とともに間借りしていた理髪店「喜之床」の新井家の菩提寺である。1910年(明治43)10月4日に産まれ、わずか24日しか生きられずに逝ってしまった啄木長男・真一の葬儀場となった。その後、境内にある新井家の墓に仮に納骨された。「夜おそく つとめ先よりかへり来て 今死にしてふ児を抱けるかな」(『一握の砂』石川啄木)
ストリートビューは、了源寺の門。まっすぐ入り、建物前で左に折れると墓地を囲う塀と立派な門がある。その中に新井家のお墓が入っている。
12 等光寺の啄木歌碑
土岐善麿(哀果)は、真言宗大谷派の等光寺が生家である。兄土岐月章は啄木葬儀時の導師を努めた。等光寺では土岐の好意により、啄木の母カツ(1912年没)、啄木本人(1912年没)、長女京子(1930年没)、二女房江(1930年没)の葬儀が行われている。また、土岐善麿の告別式も(1980年没)行われている。
ストリートビュー(1)では、門を入り本堂右手の小路を進むと裏の墓地に出る。そこには「一念」とのみ刻まれた石柱がある。それが、満94歳で亡くなった土岐善麿の墓である。
ストリートビュー(2)は、等光寺の門を入って、すぐ右手に黒御影石の啄木歌碑がある。歌集『一握の砂』にある「浅草の夜のにぎはひに まぎれ入り まぎれ出で来しさびしき心」の一首と、左上に啄木胸像が刻まれている。碑の右に台東区教育委員会による案内板がある。ストリートビューでは、電柱の背面あたりになる。
・参考