〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

“啄木の小説「赤痢」論” ワクチン等のない時代に赤痢に苦しむ人々を描く <1>

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「日本文学 5」2021年 VOL. 70 表紙

「日本文学 5」特集・病と文学

石川啄木の小説「赤痢」論 <1>

  ──可能性を秘めた疫病文学──
                  池田 功

はじめに
 石川啄木の短編小説「赤痢」(「スバル」一九〇九年一月)は、確実な抗生物質やワクチンのない時代に赤痢に苦しむ貧しい人々と、疫病退散を利用して布教しようとする天理教徒が描かれている。赤痢天理教についてのそれぞれの分析をしている先行研究はあるが、伝染病と新興宗教の布教とのかかわりを詳細に論じたものはない。本稿では、近代における民衆を襲った伝染病である赤痢の恐怖と、新興宗教であった天理教の布教の有様を分析した上で、疫病パニックに一布教師がどのようにかかわっていたのかを読み解いてみたい。

 

一 赤痢に襲われた岩手県の貧乏村

  • 小説の冒頭には、「岩手県の山中に数ある痩村の中でも、珍しい程の貧乏村」が、「秋も既う末――十月下旬」に赤痢に襲われた様が描かれている。

凸凹の石高路、その往還を右左から挟んだ低い萱葺屋根が、凡そ六七十もあらう、何の家も、何の家も、古びて、穢くて、壁が落ちて、柱が歪んで、隣々に倒り合つて辛々支へてる様に見える。家の中には、生木の薪を焚く煙が、物の置所も分明ならぬ程に燻つて、それが、日一日、破風から破風と誘ひ合つては、腐れた屋根に這つてゐる。両側の狭い浅い溝には、襤褸片やにんじんの切端などがユラユラした涅泥に沈んで、どす黒い水に毒茸の様な濁つた泡が、ブクブク浮んで流れた。

  • 赤痢は、「大便に粘液・血液・膿がまじり、頻回な下痢についで腹痛・裏急後重を訴える急性伝染病」である。又その原因は赤痢菌であり、これは汚染された下水道や井戸といった「水系感染」であり、生活環境の悪いところに発生し感染を引き起こしてゆく。この「赤痢」の冒頭の「溝」がその象徴的な描写と言えるであろう。


「日本文学 5」特集・病と文学
 2021年 VOL. 70 日本文学協会編集・刊行

 

(つづく)