〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「紅苜蓿  <8>」-啄木の歌に登場する花や木についての資料-

紅苜蓿  <8>

-啄木の歌に登場する花や木についての資料-

 

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  • 恋人の来るのでも待つ様に待って居た啄木を青柳町の苜蓿社に迎えたのは五月五日(明治40年)であった。丸刈の頭、端麗な細面、少しおでこの額の下にははしこそうな眼が閃いて居た。不揃えな歯並と八重歯を見せる笑顔もお国訛りの少し交じった明快な話ぶりも魅力的であった。初対面の私達は初めの間こそ少なからず圧迫を感じたが何時の間にか心と心が融合って、互に十年の旧知の様な親しさで話合って居た。
  • それらの苦難を通してなお且つ文学への憧憬と精進とを捨てなかった彼と、純情の恋に生き彼の天分を確信して明日食う米のない日にも端然として居た節子夫人とを、浪漫の夢を追う私達は善美崇高なものの象徴の様に心から歎称したのであったが、然しそれが彼及び彼の家族を不幸に陥入れて居る現実を見免して居た訳ではない。私は屢々生活の合理化を説いて彼を苦笑させた。(「都落ちした啄木」宮崎郁雨(昭和30.2.1))

(臨時増刊「文藝 石川啄木讀本」 河出書房 昭和30年3月1日)

 


 

  • こうして、北海道でもっとも伝統のある、もっともハイカラな、もっとも人口の多い、もっとも富み栄えたことのある、したがってまたもっともよく都市機能(医療、教育、水道等)の整備された都市、これが「函館の青柳町こそ」の「函館」でありますが、こういう一種のゆとりを生じた文化的な都市だからこそ、苜蓿社のようなしゃれた文芸結社を生み出したのだ、といえましょう。
  • その第六号からは啄木が主筆となった苜蓿社の機関紙『紅苜蓿』は「小雑誌なれども北海に於ける唯一の真面目なる文芸雑誌」(啄木日記)で装丁もすぐれています。メンバーの中には高い知識の持主・文学的才能の持ち主たちがおり、雰囲気も明るく開放的で啄木にとっては快適な交友の場がそこに生じたのでした。

(近藤典彦 『啄木短歌に時代を読む』 吉川弘文館 2000年)

 

(つづく)