啄木のラストレター
森記念館長が講演
- 啄木書簡は昨年2月18日、妹の光子の孫の三浦哲朗氏が盛岡市に寄贈した。明治41年と45年のものには光子宛てに悲痛な思いや、母と自分の病状などを伝える。こうした親族間のやりとりとともに、啄木の書簡が文学的に高く評価されている点を森館長は強調した。
- 残された啄木の書簡は512通。金田一京助や宮崎郁雨など親友との間に多い。森館長は「おそらく啄木から最も手紙をもらったのは堀合節子ではないか。それが1通もない。次にもらったのは与謝野夫妻。それも関東大震災で焼けて1通もない。平出修も晩年は大逆事件に関わってかなりの手紙があったはずだが、遺族の話では残念ながら1通も残っていない」と述べ、失われた筆跡を惜しんだ。
- 啄木の悪評には借金とかいろいろあるが、北原白秋の明治43年の回想で、『啄木は嘘をつかなくなった、借金をしなくなった』と言っている。一生涯、啄木がうそつきで借金をしていたとか、女性にだらしなかったわけではない。そういう面もあったかもしれないが、啄木の全体像を通して、晩年の明治43年から明治44年夏まで奇跡の1年と呼ばれている文学作品を評価したうえ、啄木という人間としての全体的評価をしてほしい」と述べた。
(2021-03-01 盛岡タイムス)