〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「紅苜蓿  <5>」-啄木の歌に登場する花や木についての資料-

f:id:takuboku_no_iki:20210324151722j:plain

紅苜蓿  <5>

-啄木の歌に登場する花や木についての資料-

 

  • 啄木を函館に呼んでくれた『紅苜蓿』の友人達は、みな純情ないい青年ばかりであった。「石をもて追はるゝ如くふるさとを出て」来た啄木にとって、この清らかな新しい友情は、彼の旅愁に閉された胸を拡げさせずにはおかなかった。ことに啄木を雀躍させたのは、この函館の美しい自然の姿であった。彼が函館に居を定めて間もなく筆をとった「漂泊」の一篇は、実に彼がこの地において触れた美しい自然と温かい友情を描こうと試みたものに外ならない。左に「漂泊」からぬいて、啄木の眼に映じた函館の自然を紹介しよう。

 曇った日だ。
 立待崎から汐首の岬まで、諸手を拡げて海を抱いた七里の砂浜には、荒々しい磯の香りが、何憚らず北国の強い空気に漲ッて居る。空一面に渋い顔を開いて、遙かに遙かに地球の表面を圧して居る灰色の雲の下には、圧せられてたまるものかと云はぬ許りに、劫初の儘の碧海が底知れぬ胸の動揺の浪をあげて居る。右も左も見る限り、塩を含んだ荒砂は、冷たい浪の洗ふに委せて、此処は拾ふべき貝殻のあるでもなければもとより貝拾ふ少女子が、素足に絡む赤の裳の艶立つ姿は見る由もない。夜半の満潮に打上げられた海藻の、重く湿ッた死骸が処々に散らばッて、さも力無げにのたくって【逶(「二点しんにょう+施のつくり」)】居る許り。

(吉田狐羊 『新編 啄木写真帖』 画文堂 昭和60年)

 


 

  • 啄木の編集した第六号は、流石に内容が一新されていて、彼の熱意の跡がうかがわれる。まず注目されるのは、第六号から誌名の読み方が変っている点である。一体この「紅苜蓿」の読み方は非常にむつかしく、「明星」明治四十年二月号に、この雑誌を紹介した与謝野寛の文章の初めにも、「『紅苜蓿』とは題の読みにくい雑誌だが、北海道函館に於ける文学同好者の手から生まれたものだ」と書かれている程で、従来の啄木研究書にもまちまちに読まれているが、第一号から第五号までは、「べにまごやし」、第六号と第七号は「れっどくろばあ」と読むのが正しい。第五号の誌上には、はっきり「べにまごやし」と小さな活字で読み方を示している。また啄木の編集した第六号、第七号は目次の上に、横に「れつどくろばあ」とあり、読み方の変った事を示している。これは啄木の発意で変ったと宮崎郁雨は述べている。なお社名は「苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)」が正しいのであるが、函館の読者や本屋間では「もくしゅくしゃ」で通っていた。また雑誌は「こうもくしゅく」と呼ばれていた。

(岩城之徳 『石川啄木伝』 筑摩書房 1985年)

 

(つづく)