〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「紅苜蓿  <3>」-啄木の歌に登場する花や木についての資料-

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紅苜蓿  <3>

-啄木の歌に登場する花や木についての資料-

  • 僅か四か月間ばかりの函館生活の中で、啄木の職業は点点とかわった。『紅苜蓿』の主筆とはいえそこからの収入はなく、苜蓿社同人沢田天峯の世話による函館商工会議所臨時雇員となったが、これは二十日間で用済となり、このあと同人で区立東川尋常高等小学校教員吉野白村の紹介による弥生尋常高等小学校代用教員の辞令を受ける。さらに宮崎郁雨の紹介による函館日日新聞社遊軍記者(但し、代用教員を正業とすれば、これはアルバイト)と、家族との実生活を支えんがための基礎を築こうとする真剣で前向きの姿勢がうかがわれる。
    (桜井健治 連載(1) 啄木のあしあと [函館篇])

(『啄木研究 第二号 特集=啄木短歌の精神分析』 洋洋社 昭和51年)
 


 

  • 同人雑誌「紅苜蓿」の名の由来は、明治三十五年「函館英語学校」の校友会雑誌に、大島経男が名づけたのに始まる。明治三十九年の秋のある夜、函館の文学青年、「新詩社」所属の短歌熱愛者の連中、並木武雄、吉野章三、岩崎正などが船見町の松岡政之助の下宿に集まって、南部せんべいを囓りながら文学談に花を咲かしているうちに、文芸雑誌発刊の議がもちあがった。向井夷希微も加えることにきめた。又、当時「明星」にワグネルの楽劇などを訳して執筆していた大島経男を主宰にすることに話がきまった。そこで、この連中は雑誌の表紙の図案などを大島に依頼した。草花を愛好する大島は、北海道特有の可憐な「べにうまごやし」を殊のほか好んでいたので、雑誌の名はかつて函館英語学校の校友会雑誌につけた「紅苜蓿」をそのまま踏襲し、発行所を「苜蓿社」とした。絵に巧みな大島は、表紙の構図を考えていた。各方面に書面を出して、寄稿者と読者をつのった。

(川並秀雄 『啄木秘話』 冬樹社 昭和54年)

 

(つづく)