〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「紅苜蓿  <2>」-啄木の歌に登場する花や木についての資料-

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紅苜蓿  <2>

-啄木の歌に登場する花や木についての資料-

  • 北海道と啄木を結ぶ直接の機縁となった苜蓿社は、函館における短歌研究の会であった野薔薇会の同人並木翡翠(武雄)・松岡蕗堂(政之助)・岩崎白鯨(正)・吉野白村(章三)らが、文芸雑誌刊行の目的を持って明治三十九年の秋結成した文学愛好者のグループで、彼らの先輩である東京新詩社の同人大島流人(経男)・飯島白圃・向井夷希微(永太郎)らが参加してこれを援助した。
  • 苜蓿社の雑誌『紅苜蓿(べにまごやし)』は大島流人の命名によるもので、明治四十年一月一日菊判三色刷の瀟洒な装幀をもって創刊された。この雑誌はさすがに同人たちが苦心して編集しただけに、地方の文芸雑誌としてはまれにみる清新な内容を持っていたが、特に人々の注目をひいたのは、そのころ明星派の代表的な詩人として知られる石川啄木の長詩三編を持って創刊号を飾っていたことである。

(岩城之徳 『作家伝叢書 3 石川啄木』 明治書院 昭和40年)


 

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「吉野白村のふるさと船岡」宮城県柴田町船岡駅前の看板

明治40年夏 苜蓿社のメンバー  前列左=石川啄木 前列右=西村彦次郎 円内左上=吉野白村 (時計回りに)大島流人 宮崎郁雨 並木翡翠 岩崎白鯨
(撮影2007年)

 

  • 彼の来た当時のことを書いた本誌の第二十二号(昭和三十一年十月刊)で、次の様なことを私は言って居る。
  • 「啄木が苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)を頼って函館へ来たのは、明治四十年の春、山麓の其処此処にさびたの花が咲き初めた五月の五日であった。夙に世に天才の名を謳われた未見の詩人に見参しようと、その夜青柳町露探小路の苜蓿社にはかなり多数の同人達が集まった。折柄机の上の一輪ざしに挿した花を見て居た啄木が『その白い花は紫陽花に似てるけれども違う様ですね。何の花ですか』と聞いた。『それはさびたのパイプの花です』と蕗堂が答えると途端にどっと皆が笑った。」
  • 翌年、ふっとある事に思い当って、私の心は俄に騒ぎ始めたのであった。
  • 五月五日という函館の早春に、さびたが果して開花して居たかどうかという問題が、私の良心をゆさぶるのであった。
  • 本稿が読者の目に触れる頃は、恰もさびたの花期を確めるに好個の季節と思われるので、或は曽ての啄木達の散策の跡を尋ね、碧血碑畔に漢詩の小碑を訪らい、序を以てさびたの花を其処此処に探って、私の心の混迷を解いてくれる有志者があるかも知れないと、楽しい嘱望を胸に秘めながら、私は遙に遠い函館の空を恋い偲んで居る。(昭和34.3.30、東京下北沢の寓居にて) (「海峡」昭和34年5月)

(「國文學」 學燈社 宮崎郁雨「啄木雑記帳より」 昭和50年10月号)

 

(つづく)