『一握の砂』東雲堂版
煙 一
(P.98)
茨島の松の並木の街道を
われと行きし少女
才をたのみき
眼を病みて黒き眼鏡をかけし頃
その頃よ
一人泣くを覚えし
<ルビ>茨島=ばらじま。少女=をとめ。
(P.99)
わがこころ
けふもひそかに泣かむとす
友みな己が道をあゆめり
先んじて恋のあまさと
かなしさを知りし我なり
先んじて老ゆ
<ルビ>己=おの。
《つぶやき》
啄木の生涯をおもうとき「先んじて恋のあまさと かなしさを」、確かに啄木は知ったのではないか。
1899年(明治32)、啄木13歳のとき節子と知り合う。
1904年(明治37)2月3日、啄木17歳(18歳の誕生日が来る前)堀合家に結納を持参し婚約が成立する。
1905年(明治38)5月12日、啄木19歳、婚姻届を提出する。
1906年(明治39)12月29日、長女京子誕生する。(届け出は翌年1月1日)「・・こひしきせつ子が、無事女の児一可愛き京子を産み落したるなり。予が『若きお父さん』となりたるなり。天に充つるは愛なり。」(12月30日、日記)。「二十歳のお父さん」誕生
1910年(明治43)10月4日、長男真一誕生。同年10月27日、真一死去。
1912年(明治45)4月13日、啄木26歳、死去。そのとき節子は妊娠8カ月。同年6月14日、二女房江誕生。
啄木は、十分にいや十二分に生きた……と、おもう。