〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「林檎  <6>」-啄木の歌に登場する花や木についての資料- (おわり)

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 林檎<6>-啄木の歌に登場する花や木についての資料-

 

林檎

      石狩の都の外の

      君が家

      林檎の花の散りてやあらむ

 

  • やがてその年の瀬も暮れて、明けて正月六日の朝に、待ちに待った智恵子からの封書を手にする。封を切るのももどかしく、一気に読み下した啄木は、その日の日記に書き付ける。

(もう一通は)橘智恵子からであつた。否北村智恵子からであつた。送った歌集の礼状である。思ひ当るのがあると書いてあつた。今年の五月とうとうお嫁に来たと書いてあつた。自分のところで作つたバタを送ると書いてあつた。さうして彼の女はその手紙の中に函館を思ひ出してゐた。

  • 封書の差出人の署名を見た時の、啄木の気持ちが伝わって来るようである。あれだけ待ち焦がれた智恵子からの礼状だったにも拘わらず、さりげなく手紙の要点のみを書き写しているだけである。そのこと自体がショックの大きかったことを示している。「書いてあつた」「書いてあつた」「書いてあつた」と三回も続けて書いていることも切ない。啄木は全く知らなかったのである。歌集出版の年の五月に智恵子が結婚していたことを。

(略)

 

  • 後年、啄木と土岐善麿(哀果)が、雑誌『樹木と果実』刊行を計画したとき、全国からの予約者を募ったが、智恵子が第一番目にその名を連ねている。これもまた、函館市文学館に展示されている「『樹木と果実』出納控へ」の最初に見出せる。「北村智恵」の名である。これもまた、明治後期に生きた一組の男女の青春を映し出す鏡とも言いうる。

(竹原三哉 『啄木の函館 ─実に美しき海区なり─』 紅書房 2012年)

 


 

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クイズ < > 内から答えを一つ選んでください。

 啄木はふるさとを追われ明治40年の5月に函館に移住し、友人吉野白村の世話で函館区立①〈渋民・弥生・篠木〉尋常小学校に代用教員として勤務する。そこで女教師の橘智恵子と運命的な出会いをすることになる。啄木は、その時の印象を「ローマ字日記」に「智恵子さん! なんといい名前だろう! あのしとやかな、そして軽やかな、いかにも若い女らしい歩きぶり! さわやかな声!」と記している。その智恵子への淡い慕情は後に宝石のような結晶となり『一握の砂』に22首の歌群として収められることになる。その中の代表歌を2首挙げる。

 

 世の中の明るさのみを吸ふごとき/②〈黒き瞳の・か細き肩の・広き額の〉/今も目にあり

 石狩の都の外の/君が家/③〈蜜柑の花の・李の花の・林檎の花の〉散りてやあらむ

 

 智恵子に関する歌々は④〈我を愛する歌・忘れがたき人人・手套を脱ぐ時〉の章の「二」に配列されている。その智恵子は後に牧場主である⑤〈北村謹・上野広一・狐崎嘉助〉と結婚している。

 

答えと解説は↓

 

答えと解説

 ふるさとを追われた啄木は函館に移住し、吉野白村の世話で函館区立①〈弥生〉尋常小学校の代用教員となるが、そこで運命的な出会いをするのが橘智恵子である。

 智恵子への恋慕の情は22首の宝石のような恋歌となっている。その中から4首を挙げる。

 

 世の中の明るさのみを吸ふごとき/②〈黒き瞳の〉/今も目にあり

 石狩の都の外の/君が家/③〈林檎の花の〉散りてやあらむ

 死ぬまでに一度会はむと/言ひやらば/君もかすかにうなづくらむか

 わかれ来て年を重ねて/年ごとに恋しくなれる/君にしあるかな

 

 ところで、『一握の砂』の④〈忘れがたき人人〉の章は二つに分かれていて、「忘れがたき人人 一」は北海道流離の思い出を函館→札幌→小樽→釧路の順に並べている。「忘れがたき人人 二」には橘智恵子への慕情歌22首を収めている。 

 智恵子は牧場主である⑤〈北村謹〉と結婚するが、自分の歌々を含む『一握の砂』を啄木から贈られ大切に保存していた。

 選択肢中の上野広一は花婿不在の結婚式の仲人、狐崎嘉助は中学時代のカンニングの協力者である。

 

(大室精一・佐藤勝・平山陽 『クイズで楽しむ啄木101』 桜出版 令和元年)

 

(おわり)