〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

函館本線に乗れば 啄木の心境に迫れるかも…

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ユズリハ

連載 歴史のダイヤグラム

啄木が愛した石狩の海  原武史

  • 1880(明治13)年11月28日、北海道で初めての鉄道が小樽に近い手宮(現在は廃止)と札幌の間に開通した。新橋―横浜(現・桜木町)間の鉄道開業からわずか8年後のことだった。
  • 函館本線の列車は小樽を出ると、左手に日本海に属する石狩湾が現れる。右手は山が急傾斜で湾に落ちている。列車は朝里(あさり)から銭函(ぜにばこ)まで約8キロにわたり、山と湾の間に築かれた低い護岸に沿って走る。人家や道路は全く見えない。地形が幸いして奇跡的に開発を免れてきたのだ。
  • 1907年5月に岩手から北海道に渡った石川啄木は、同年9月から翌年1月にかけて、この区間を通ったときの印象を3回書き残している。
  • 3回目は1月19日。小樽日報社を辞めて釧路新聞社(現・北海道新聞社)に勤めるため、中央小樽午前11時40分発の列車に乗っている。

「窓越しに見る雪の海、深碧(しんぺき)の面が際限もなく皺立(しわだ)って、車輛(しゃりょう)を洗うかと許(ばか)り岸辺の岩に砕くる波の徂来(ゆきき)、碧(あお)い海の声の白さは降る雪よりも美しい。朝里張碓(はりうす)は斯(か)くて後になって、銭函を過ぐれば石狩の平野である」(「雪中行」)

  • いまなお同じ風景が眺められる函館本線に乗れば、当時の啄木の心境に迫れるかもしれない。(政治学者)

(2020-05-16 朝日新聞

 

(歴史のダイヤグラム)啄木が愛した石狩の海 原武史:朝日新聞デジタル