◎文芸誌 『視線』第10号 2020.03.27
評論 <2>
復元・『悲しき玩具』収載歌一覧
水関 潔
第一章 はじめに
石川啄木の名を後世に残す歌集である『一握の砂』は、巧緻をきわめた編集を経て世に出た珠玉の歌集であり、その理論的支柱となったのは、自らの歌論『一利己主義者と友人との対話』である。『一握の砂』編纂と前後して発表されたこの作品の中で、自身をモデルにした作中人物は、親友・並木武雄をモデルにした作中の友人との対話の中で、以下の注目すべき発言をしている。
「なるべく現代の言葉に近い言葉を使って、それで三十一字に纏(まとま)りかねたら字あまりにするさ。」
「のみならず、五も七も更に二とか三とか四とかにまだまだ分解することが出来る。」
「昔は何日(いつ)の間にか五七五、七七と二行に書くことになっていたのを、明治になってから一本に書くことになった。今度はあれを壊(こわ)すんだね。」
「歌には一首一首各(おのおの)異った調子がある筈だから、一首一首別なわけ方で何行かに書くことにするんだね。」
すなわち、当初は定型で発想された表現を、助詞の付加やヨミの変更などの手段によって「字余り」に変え、句の途中での改行などによって「歌のしらべを「句」から「句またがりの行」に推移」させ、三行書きという書式によって「歌の読み方」を指定するのである。これらはすべて、上記『一利己主義者と友人との対話』の中の「なるべく現代の言葉に近い言葉を使って」「五も七も更に二とか三とか四とかにまだまだ分解」し、一首ごとに「異った調子がある筈だから、一首一首別なわけ方で何行か書く」という主張と見事に符合している。
これらの改変を、啄木の「推敲」と捕らえれば、その方針は以下の三点に集約される。すなわち、(一)助詞の付加や訓読みへの変換などによる、定型から「字余り」への改変、(二)「五七五七七」を構成する定型句を自在に切断して次の句につなげるなどの、「句」から「行」への改変、そして、(三)各首の配列を自在に構成していく中で歌意を集約する、ことである。
これらの「推敲」は、上京後の文学的苦闘の日々の中で、歌誌「創作」に出会って衝撃を受け、職場の上司である渋川玄耳からの称賛を受ける中で作歌に励み、その後の『一握の砂』の基調となる「啄木調」を創始した啄木が、生活の細部を見つめる中で得られた題材をもとに詠出した歌にきめ細かな推敲を加えることで、「明晰かつ繊細な心の索引」とするために、心を砕いた結晶なのである。
第二章 歌集編纂における啄木の推敲意図
第三章 復元・『悲しき玩具』
付表 復元・『悲しき玩具』
評論 <3>
砂山影二の生涯
佐藤和範
わがいのち
この海峡の浪の間に
消ゆる日を想ふ
─ 岬に立ちて
第一章 出生から十五歳まで
第二章 十六歳から十九歳まで
第三章 歌集出版から自殺当日まで
第四章 まとめ
評論 <4>
魯迅ノート
吉田喜八
一、「野草」の抒情
『「野草」はその根深からず、花と葉美しからず、しかも露を吸い、水を吸い、ふりた死人の血を吸い、おのがじし、その生存を奪い取る。生存にあたっても、踏みにじられ、刈り荒らされ、ついに死滅と腐敗にいたる。』と。
評論 <5>
これからの『滑走路』研究のために
栁澤有一郎
一、『滑走路』の今
二、日本社会と『滑走路』
・非正規という受け入れがたき現状を受け入れながら生きているのだ
・シュレッダーのごみ捨てにゆく シュレッダーのごみは誰かが捨てねばならず
三、<連帯>の地平へ
四、これからの『滑走路』研究
編集後記
小誌発刊の目的に「郷土縁の文学者、文学作品に光を当てる」ことを掲げているが、今号では、近藤典彦客員に啄木の晩年に焦点を当てた評論を、また俳人佐藤和範には啄木を愛した “夭折の歌人砂山影二” を寄稿していただいた。啄木文学にかかわって、函館市教育委員会が盛岡市教育委員会と「友好交流に関する覚書」を交わすというニュースを目にした。啄木文学をめぐる諸課題を多角的に交流し合う良い機会になることを願う。小誌では、中高校生向けに、「啄木ノート」の作成計画を温めている。
文芸誌『視線』第10号
2020.03.27 「視線の会」発行 頒価 500円
「視線の会」 函館市本通2-12-3 和田方(0138・32・6844)