─「明星」創刊120年─
理想の火、俊秀集め
- もし与謝野鉄幹という詩人が出現しなかったら。もし「明星」という文芸美術誌が鉄幹によって創刊されなかったら。歴史に「もし」はないが、そう仮定したくなるのは、二十世紀初頭を彩るこの雑誌から優れた詩人・歌人を多く輩出したからだ。与謝野晶子、石川啄木、北原白秋、吉井勇、高村光太郎。名を列挙するだけで納得されよう。
- では、なぜ「明星」にかくも俊秀たちが集まったのか。
- 創刊は1900(明治33)年4月。ただしページ数も限られたタブロイド版で、雑誌形態に移行したのは同年9月。ここから「明星」は飛躍的に読者を増やす。それは形態の違いによるものではなく、雑誌本体が画期的であったからだった。
- まず表紙画に読者は驚倒しただろう。瞼を伏せ髪を長く垂らした若い女性は乳房もあらわな半裸。しかし片手に持つ白百合が聖女の面持ちを演出し、その周囲には大小の星が輝く。フランスのポスター画家ミュシャの模倣ではあったが、まさに西洋の匂いが横溢する。
- 次に注目すべきは鳳(のちの与謝野)晶子の歌の鮮烈さだろう。鉄幹との恋愛以前にあって、こんな歌が掲載されている。
病みませるうなじに細きかひなまきて熱にかわける御口(みくち)を吸はむ
- 鉄幹が多忙で発熱したと知り、ではあなたの首に腕をまき口づけして差し上げましょうの意。この大胆さは翻訳文学の影響下にあってのものだろう。
(まつだいら・めいこ=歌人)
(2020-03-30 毎日新聞)