〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

インタビューシリーズ「わたしと啄木・記念館」(1)〜(5)

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シロワビスケ

石川啄木記念館開館50周年

 インタビューシリーズ

わたしと啄木・記念館(1)

啄木の原風景に心ひかれ

 館長・森義真 さん

  • 「啄木も見た岩手山姫神山、北上川-『ここに来ることができて良かった』という来館者の声が心に残っている」。2014年4月、館長に就任した森義真さんは、啄木の故郷・渋民にある本館に寄せられる期待を感じている。
  • 賢治の親友といわれた叔父と賢治との関わりから、自身の母校盛岡一高の先輩でもある啄木・賢治の本を読むようになったという。
  • 石川啄木記念館には個人的な研究のためたびたび来ていたが、事業を運営する立場になってからスタートした啄木ゆかりの地を巡るバスツアーやウオークは、かつて岩手大学公開講座石川啄木の世界」に受講生として参加し、案内も任された経験を生かした。
  • 館長となり6年目。20年度は若い世代にも親しまれる企画展も計画。「渋民には啄木が育った原風景がある」と、何よりも渋民の地を財産と感じている。

(2020-01-01 盛岡タイムス)

 



わたしと啄木・記念館(2)

望郷の歌人は子らの誇り

 元小学校長・阿部一さん

  • 盛岡市下田の元小学校長・阿部一(かつ)さんは、財団法人石川啄木記念館の理事を経て、現在は石川啄木記念館運営協議会の副会長。
  • 森館長やグラフィックデザイナーの柴田外男さんと一緒に作った絵はがき「啄木のうた」第2集は、得意の毛筆で啄木短歌を書き、柴田さんの明るく親しみやすいデザインを得て好評。
  • 1992年に学校を退職後、啄木祭実行委員役員として「啄木祭」の運営や啄木短歌大会の事務局長を務める。
  • 「せっかく来てくれた人に『いい所だな』と思ってもらいたい」と敷地内の庭の草刈りにも精を出す。

(2020-01-04 盛岡タイムス)

 



わたしと啄木・記念館(3)

親子2代で詠み継いで

 工藤幸子・玲音さん

  • 岩手芸術祭俳句部門事務局を務める工藤幸子さん、歌人俳人の工藤玲音(れいん)さん親子=盛岡市渋民=は、啄木の後輩にあたる渋民小出身。子どもの頃から「啄木かるた」などを通して啄木に親しみ、「啄木祭」には同小鼓笛隊員として親子2代で参加した。
  • 幸子さんは、渋民俳句会を主宰していた故工藤節朗さんに誘われ、玲音さんが中学の頃、一緒に俳句を学ぶようになった。玲音さんは盛岡三高では文芸部で活躍。大学卒業後に帰省し、「コスモス短歌会」「樹氷」(俳句)の同人。
  • 啄木は、盛岡中学時代好きな人を「未来の石川一君」と書いたと知り、「自分を信じている感じに励まされる」と玲音さん。新年も親子で飛躍を誓う。

(2020-01-05 盛岡タイムス)

 


 

わたしと啄木・記念館(4)

各地の歌碑を訪ね歩く

 拓本家の澤尻弘志さん

  • 国鉄(JR)職員で拓本家の澤尻弘志さん=盛岡市好摩=は、渋民にある第一号歌碑(1922年建立)をはじめ各地の啄木歌碑を訪ね歩いた。石川啄木記念館には50年前の開館当時から通った。
  • 拓本をとる前には、短歌をじっくりと鑑賞する。「よく読み込まないと点(濁点)などをうっかり取り忘れることもある。じっくりと読み込んでから作業すると、『この言葉は強くしたい』と啄木の気持ちになることも」と言う。啄木短歌の特徴でもある三行の分かち書きでは、紙の上のバランスに苦心したこともある。
  • 「啄木や記念館を通してたくさんのユニークな人たちに出会えたことが財産だ」と振り返る。

(2020-01-06 盛岡タイムス)

 



わたしと啄木・記念館(5)

ふるさとへの思い音楽で

 ソプラノ歌手 田中美沙季さん

  • 盛岡生まれ、雫石育ちのソプラノ歌手として、啄木の歌のレパートリーは100曲。田中美沙季さん=千葉県=が「啄木を大切に歌い、つないでいく」と決心した背景には、啄木短歌とそれを愛する人たちとの出会いがあった。
  • イタリアオペラを学んでいた国立音大の時、東日本大震災を経験した。母校の不来方高同窓生によるコンサートで地震津波の記憶もまだ生々しい中、「言葉で伝えられる作品を」と選んだ楽譜が啄木の「初恋」だった。歌唱後、すぐに拍手が来ない(余韻を味わってくれている)という初めての経験をした。
  • 「啄木は、岩手の人たちの気持ちを代弁してくれるだけではなく、日本人、世界中の人たちが持っているふるさとへの思いを歌っている。大切に歌っていきたい」と気持ちを新たにする。

(2020-01-07 盛岡タイムス)