啄木の歌碑 17年ぶりにゆかりの函館に戻る
- 函館から遠隔地に引っ越しを余儀なくされた石川啄木(1886~1912)の歌碑がこのほど、17年ぶりにゆかりの北海道函館市に戻った。「『漂泊の歌人』らしく碑もさまよったけれど、函館に帰って来られてよかった」と啄木ファンたちも喜んでいる。
- 啄木が函館時代に暮らしていたのが、「函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花」と詠んだ函館市青柳町。そこに住んでいた陶芸家が1986年、啄木生誕100周年を記念し、啄木愛好家らに呼びかけて自宅敷地内に歌碑を建てた。
- その後、立ち退きをし、2002年に歌碑も撤去された。処分話も上がる中、合併前の旧椴法華(とどほっけ)村の住民が譲り受け、自宅前に立てて保管していたという。
- 「このままでは永久に行き場を失いかねない」と危惧した函館啄木会(岡田弘子代表理事)が、ゆかりの地に戻そうと所有者などと交渉を重ねて移設。函館山のふもと、同市青柳町の護国神社坂の街路樹帯に設置した。刻まれているのは、「こころざし得ぬ人人の あつまりて酒のむ場所が 我が家なりしかな」。(阿部浩明)
(2019-12-04 朝日新聞)
北海道)啄木の歌碑 17年ぶりにゆかりの函館に戻る:朝日新聞デジタル