北海道)「インクも凍った」啄木体感、釧路の極寒を検証
- 歌人の石川啄木は1908(明治41)年1月21日、釧路新聞(当時)の記者として釧路駅に降り立った。21歳だった。当時は現代より寒く、インクや酒が凍ったと短歌に残した。3月には大風雪に見舞われた。啄木が体験した釧路の極寒や雪害を検証した。
- 「吹く風の寒さは耳を落(おと)し鼻を削らずんば止(や)まず」。まずはこんな表現で友人たちに釧路の寒さを手紙で伝えている。
- 啄木は木造住宅に下宿していた。当時は現代のような断熱材もなく、すきま風が入り、窓ガラスも重ねず1枚きりである。親友の言語学者、金田一京助には「いかに硯(すずり)を温めて置いても、筆の穂忽(たちま)ちに氷(こお)りて、何ものをも書く事が出来ず…」と手紙で伝えた。
「こほりたるインクの罎(びん)を/火に翳(かざ)し/涙ながれぬともしびの下(もと)」
- 啄木は4月5日までの76日間、釧路に滞在した。26年の生涯で最も華やかだった時期ともいえる。滞在が夏だったら、釧路名物の濃霧をどう表現しただろうか。(高田誠)
(2019-11-04 朝日新聞)
北海道)「インクも凍った」啄木体感、釧路の極寒を検証:朝日新聞デジタル