〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

四万十市「幸徳秋水碑」から 高知市「石川啄木碑」へ <11>

◎啄木文学散歩・もくじ https://takuboku-no-iki.hatenablog.com/entries/2017/01/02

 

四万十市幸徳秋水碑」から 高知市石川啄木碑」へ <11>

 

(「啄木の息HP 2000年」からの再掲 + 2019年初夏 )

・写真について:撮影年が記されていないものは2000年撮影

 

現在(2019年)から遡ること約20年。


高知駅前で「石川啄木の父一禎 終焉の地」の文字を見つけた。

高知駅に着くとすぐの観光案内所で手に入れたパンフレットの地図に「石川啄木の父一禎 終焉の地」と書いてあった。今回の旅行の日程には全く入っていなかったけれど、どうしても行きたい。

旅行の最後の日、高知駅前の歩道橋の上に立ち地図を眺め、方角を見定めて歩き出した。

 

 

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「啄木の父石川一禎 終焉の地」(後方の建物が高知駅

駅前からすぐの、ちょっとしたグリーン地帯の中に一本の柱が見えた。駅から、1~2分の距離と言ってよい。傍まで行ってみる。

高さ1.6メートルほどの柱の正面には「啄木の父石川一禎 終焉の地」とある。

ここに住んでいたのかなと思いながら柱の右に回ると、側面に
「この地から東北約百メートル 鉄塔の南側」と書いてあった。まるで宝探しのようだ。

 

南はどっちかと、太陽で確かめてから、東北あたりを見た。そこに鉄塔があった。駅から出る十本近いレールのほぼ真ん中だ。

鉄塔の傍に寄ろうとしたが、フェンスがあって行けない。辺りを見回すと跨線橋がある。その階段を上って橋の上に出ると鉄塔の根元がよく見えた。

レールの間が終焉の地とすると、一禎さんは『鉄道事故に遭われたか』、あるいは『行路病者として発見されたか──』など、さまざまな思いが胸をよぎった。

 

 


標柱のその後を知らせてくださった方からの情報

2001-04-30 盛岡市 森さん
「啄木の父石川一禎終焉の地」標柱は、2003年完成予定の高知駅前整備事業のため、半年前に撤去され、市役所に保管されているらしい。また、100M離れた所にある案内板も、鉄塔やアパートが近く解体されるということで、どうなるのか分からない状況。

2004-03-10 高知市 岡田さん
この木の碑は現在は高知市の工事現場の倉庫の中でどうするかも決まらずに眠っている。


 

そのとき、第二の鉄塔が目に入った。「終焉の地の柱」に戻って確かめると、東北の方角と言えなくもない。あらためて第二の場所を目指す。直接は行くことができないためバスの車庫を大回りして近づくと、フェンスの端にプレートがあった。

 

 

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「啄木の父 終焉の地」のプレート

《啄木の父 石川一禎終焉の地  高知県歌人協会》と、記されてあった。『ああ、ここなんだ』と思わずプレートの打ち込んであるざらざらとしたコンクリートに触れた。

近くで立ち話をしていた男性に尋ねると「これは今、JRの寮で、啄木のお父さんが昔ここで生まれたそうだ(ママ)」と、話して下さった。

 

 

 

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啄木の父・石川一禎終焉の地

高知駅」と「終焉の地の柱」と「終焉の地プレート」の、位置関係がよくわかる。

 

 

(つづく)