〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

沖縄に来たことのない啄木の碑が なぜ沖縄に?

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啄木の歌碑 那覇市 真教寺

あの有名歌人と沖縄とのつながりを探る
  週刊レキオ 島ネタCHOSA班 石川啄木

  • ある日、レキオ編集室に「国民的歌人石川啄木の歌碑が那覇市内にあることをご存知ですか?」というメールが届きました。岩手県出身の啄木の歌碑がなぜ沖縄に? 調査員は碑がある場所へと向かいました。
  • 石川啄木といえば、あふれる才能に恵まれながらも窮乏生活を送り、26歳で結核により短い生涯を閉じた明治末期の歌人ですよね。「はたらけど はたらけど猶(なお)わが生活(くらし) 楽にならざり じっと手を見る」という短歌を記憶している人も多いのでは。
  • しかし、啄木の歌碑が那覇市内にあるなんて知りませんでした。それにしても、岩手県出身で、沖縄に来たことのない啄木の碑が、なぜ沖縄にあるのでしょうか。

啄木と沖縄の接点は?

  • 歌碑があるのは、那覇市西にある真宗大谷派の寺院、真教寺。啄木の歌碑は、門をくぐってすぐ左手にありました。碑の裏を見ると、「一九七七年四月建之 山城正忠 沖縄啄木同好会」とありました。山城正忠氏という人物が、碑の設立者なのでしょうか。
  • 調べてみると、山城正忠氏は、大正・昭和期の沖縄を代表する歌人。啄木と交流があったことが知られ、啄木の日記にも「山城君は肥って達磨の様である」などと記されています。

(2019-05-20 琉球新報 Style)

 

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