〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「啄木と花」 名も知らぬ鳥啄めり赤き茨の実

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[ハマナス]

 

真生(SHINSEI)2019年 no.309

石川啄木と花」 近藤典彦


  第十三回 いばら

  愁ひ来て、
  丘にのぼれば
  名も知らぬ鳥啄めり赤き茨の実
   (啄めり=ついばめり)(茨の実=ばらのみ)

 

 作歌は1908年(明治41)8月。『一握の砂』(明治43年12月刊)所収。

 「紅き実」は青春の夢の象徴。その実を小鳥が来て啄んでは飛び去ってしまう。わが青春の夢を啄むかのように。
 「丘」は函館の砂山(砂丘)をイメージしてのことらしい。すると「茨」はかの浜薔薇(はまなす)である。南天などより大きい紅い実をつける。花はあざやかな紫紅色。

 

[解釈] 愁いをいだくぼくは家を出て砂丘をめざした。砂丘にのぼるとそこには浜薔薇の輝くような紅い実がたくさんなっている。名も知らぬ鳥がその実を啄んでいた。わが青春の愁いを啄むかのように。

 

 前回の「アカシヤ」でも第二回「馬鈴薯の花」でもわたくしは「詩人啄木の最大のライバル・親友北原白秋」と記しました。実際ふたりの関係は「半端ないって」!

 1902年(明35)10月少年啄木の歌一首が文芸雑誌「明星」に、同年同月少年白秋の歌一首が文芸雑誌「文庫」に載ったのを皮切りに、ふたりは詩に歌にその天才を競ってゆくことになります。

 最後の競演は白秋『思ひ出』啄木『呼子と口笛』という詩集の姿でなされました。そのうちの傑作各一遍で競演ぶりを垣間見てください。

 

 曼珠沙華

         注:GONSHAN は良家の令嬢

GONSHAN. GONSHAN. 何処へゆく、
赤い、御墓の曼珠沙華(ひがんばな)、曼珠沙華
けふも手折りに来たわいな。
GONSHAN. GONSHAN. 何本か、
地には七本、血のやうに、
血のやうに、
ちやうど、あの児の年の数。
GONSHAN. GONSHAN. 気をつけな。
ひとつ摘んでも、日は真昼、
日は真昼、
ひとつあとからまたひらく。
GONSHAN. GONSHAN. 何故(なし)泣くろ。
何時まで取つても、曼珠沙華
曼珠沙華
恐(こは)や、赤しや、まだ七つ。

 


 飛行機

       1911. 6. 27.  TOKYO.

見よ、今日も、かの蒼空に


飛行機の高く飛べるを。

 

給仕づとめの少年が


たまに非番の日曜日、


肺病やみの母親とたつた二人の家にゐて、


ひとりせつせとリイダアの独学をする眼の疲れ……

 

見よ、今日も、かの蒼空に


飛行機の高く飛べるを。

 
<真生流機関誌「真生(SHINSEI)」2019年 no.309 季刊>(華道の流派)