[マンサク]
【元号の風景】(13)明暦(1655~1658年) 東京都文京区 本郷
- 「喜之床(きのとこ)旧跡」と書かれた説明板を見つけたのは、春日通りのかどの理髪店の壁面だった。明治41(1908)年に建てられた理髪店 で、屋号や外観は変わっているが、いまも営業中だった。翌42年6月から、「喜之床」の2階2間で家族4人とともに、2年間ほど住んだのが石川啄木であった。文学史的には「啄木の『喜之床時代』」と呼ばれ、その短い生涯で、創作活動がもっとも旺盛な時期だった。翌年には処女歌集『一握(いちあく)の砂』を出版した。
- 朝日新聞の校正係という定職を得たものの、いまでは信じられないが、当時の朝日は給料が安かったらしく、生活は苦しかった。『一握の砂』には「はたらけど/はたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり/ぢっと手を見る」という歌もある。
- 坂沿いのビルの壁面に、「近代文学発祥の地 近隣に住んだ人々」と刻まれたプレートがあり、啄木のほか、樋口一葉、坪内逍遥、徳田秋声、二葉亭四迷、直木三十五、谷崎潤一郎、宇野千代ら20人の名前が刻まれていた。「麓を流るる下水と小橋」と荷風が書いたあたりには、26歳の啄木とおなじく、24歳で夭逝(ようせい)した一葉の旧居跡があるはずだった。ウロウロと歩きまわってみたが、わからなかった。(客員論説委員 福嶋敏雄)
(2019-03-30 産経新聞)
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