〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

「啄木と花」 札幌は しめやかなる恋の多くありさうなる都なり

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[ポプラ]

真生(SHINSEI)2018年 no.308

 「石川啄木と花」 近藤典彦

  第十二回 アカシヤ

   アカシヤの街樾にポプラに
   秋の風
   吹くがかなしと日記に残れり
            (街樾=なみき 日記=にき)

 

 作歌は1910年(明治43)10月。『一握の砂』(明治43年12月刊)所収。

 第六回「浜薔薇の花」でもふれましたが、啄木は1907年(明治40)5月から翌年4月まで、北海道を漂泊しました。函館→札幌→小樽→釧路。3年後にその思い出をうたいました。湧きあがる泉のように。それらの名歌で編んだのが『一握の砂』の第三章「忘れがたき人人」です。

 札幌にいたのは9月14日から27日までのわずか2週間。掲出歌はそのころのことをうたっています。いまでこそ人口約200万の大都市札幌ですが、当時の人口は66,193人。

 啄木は着いた翌日「日記」にしたためます。

札幌は大なる田舎なり、木立の都なり、秋風の郷なり、しめやかなる恋の多くありさうなる都なり、路幅広く人少なく、木は茂りて蔭をなし人は皆ゆるやかに歩めり。アカシヤの街樾(なみき)を騒がせ、ポプラの葉を裏返して吹く風の冷たさ、朝顔を洗ふ水は身に沁みて寒く口に啣(ふく)めば甘味なし、札幌は秋意漸く深きなり、

 札幌賛歌はまだまだつづくのですが、割愛します。駅前の広い通りの両側はアカシヤの街樾道。「アカシヤ」は「はりえんじゅ(ニセアカシヤ)」で北アメリカの原産。「街樾」は「樾」一字でも「木蔭、街路樹」の意味があるので、街の道沿いにつらなった樹蔭といったイメージでしょう。啄木の語感の佳さにうたれます。

 その「街樾を騒がせ」秋風が吹いているのですが、ほかの場所で見かけた「ポプラ」には秋風が「葉を裏返して吹」くとあります。ポプラはその細長い葉柄(葉身を枝に連結させる部分)が葉の平面にたいして垂直の方向に平たいので、わずかの風にも動きやすい構造になっており、風が吹くと葉が一斉にひるがえりさらさらと音をたてます。

 この特徴をわたくしが認識したのはポプラを身近に見た少年の日々から50年後のことでした。啄木は瞬時に認識したのです。天才と凡人の差に涙がこぼれます。「かなし」は「心にしみた」。こうしたことどもを踏まえて掲出歌をご鑑賞ください。

 

 啄木が漂泊したころの北海道は、詩歌以前の大地でした。啄木はそこに行って3年後突如として「忘れがたき人人」133首を創りました。北海道文学百年の詩歌でこれを超えるものは無く、これからも無いでしょう。不思議な人です。

<真生流機関誌「真生(SHINSEI)」2018年 no.308 季刊>(華道の流派)