[マツカサ]
みちのく随想
甘酸っぱいふるさとは今 心の支え、噛みしめる
山本玲子
- 東京の叔母からいつもの便りが届いた。リンゴの発送依頼と送り先の住所が書かれてあった。盛岡で生まれ育った叔母が東京へ嫁いで50余年。この時季に盛岡のリンゴを何箱も買い求め、家族で食べたり、知人たちにも贈るのが恒例になっている。
- 石川啄木が初恋の頃に食べたリンゴは、さぞかし甘酸っぱい味がしたことであろう。その頃を回想して次のように詠んでいる。
城址の
石に腰掛け
禁制の木の実をひとり味ひしこと
- 「禁制の木の実」とはリンゴのこと。旧約聖書のアダムとイブが食べた禁断の果実、つまりリンゴを意識している。恋愛が白眼視されていた明治の時代に、当時13歳の啄木が、初めての恋に苦しんでいた頃を詠んだ歌である。
- 啄木にとっても、リンゴはふるさとを象徴する果物である。啄木はこんな夢を見た。石を持て追わるるごとくふるさとを出てから1年半程が経ち、東京で暮らしている時であった。
- 「母が、裏の林檎の一番上に林檎が二つ赤くなつてるから、取つて喰べろと言った。すると妹が先に立つて駆け出した。予は小倉服──上は黒、下は白──を着てゐて、竿を見付け出して駆け出さうとすると……」(明治41年10月28日の日記より)
- ここで目が覚めた啄木は、それから二時間も枕の上でふるさとの事を考えていた。
(2018-11-18 岩手日報)