[ラッキョウ]
幸徳秋水の死を受けて、石川啄木が綴った日記の「中身」
大衆は神である(24) 魚住 昭 ノンフィクションライター
ノンフィクション作家・魚住昭氏が日本の出版業界の黎明を描き出す大河連載「大衆は神である」。
弁論雑誌『雄弁』を創刊したばかりの野間清治の目には、「大逆事件」はどう映ったのだろうか。
連載第1回 :「極秘資料を発見!日本の出版のあけぼのと、野間家の人々」
第三章 大逆事件と『雄弁』、そして『講談倶楽部』―十二人の死 (1)(2)
〇裁判記録を読む啄木
- 〈死刑囚死骸引渡し、それから落合の火葬場の事が新聞に載つた。内山愚童の弟が火葬場で金槌を以て棺を叩き割つた──その事が劇しく心を衝いた〉。石川啄木の日記にはそう記されている。幸徳秋水らが火葬された25日夜、啄木は大逆事件の弁護人の1人で、歌人仲間でもある平出(ひらいで)修の自宅を訪ね、秋水や管野スガらの獄中書簡を借り出した。
- 翌26日付の啄木日記。
〈社からかへるとすぐ、前夜の約を履んで平出君宅に行き、特別裁判一件書類をよんだ。七千枚十七冊、一冊の厚さ約二寸乃至三寸づゝ。十二時までかゝつて漸く初二冊とそれから管野すがの分だけ方々拾ひよみした。
頭の中を底から搔き乱されたやうな気持で帰つた〉
大逆事件で日本の社会主義・無政府主義運動は徹底的に弾圧された。政府は危険思想を撲滅するために、ありとあらゆる手を尽くした。
啄木も事件発覚当初は、こうした世の風潮と無縁ではなかった。大逆事件を「不逞のやからの不逞の計画」と難じ、秋水らの行動を「常識を失ひたる狂暴の沙汰たり」と厳しく批判していた。
ところが、平出修を通じて秘密裁判の模様を聞き、「特別裁判一件書類」を読むに及んで、啄木の思想はドラスティックな転回を遂げた。
〇ココアのひと匙
- 幸徳らの刑死から約5ヵ月後の6月15日、啄木は病床でこんな詩を書いた。
「ココアのひと匙」
われは知る、テロリストの かなしき心を──
- 啄木は、そうした事件の本質を正確に理解し、友人あての手紙にこう書いている。
〈あの事件は少くとも二つの事件を一しよにしてあります。宮下太吉を首領とする管野、 新村忠雄、古河力作の四人だけは明白に七十三条の罪(大逆罪)に当つてゐますが、自余の者の企ては、その性質に於て騒擾罪(大勢が集まって暴行、脅迫を し、公共の平穏を害する罪)であり、然もそれが意志の発動だけで予備行為に入つてゐないから、まだ犯罪を構成してゐないのです。さうしてこの両事件の間に は何等正確なる連絡の証拠がないのです〉
(2018-10-28 講談社 現代ビジネス)