〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

 米内光政の手紙 冨田小一郎宛 吉田孤羊宛など

企画展 盛岡てがみ館

  元首相・米内光政、没後70年 手紙ににじむ器量、見識 恩師への書簡など展示 盛岡 /岩手

  • 盛岡出身の元首相で海軍大将、米内光政(1880〜1948年)の生涯と業績を直筆の手紙や関連史料で紹介する企画展「米内光政の手紙〜良識の提督の生涯」が、盛岡市中ノ橋通1の盛岡てがみ館で開かれている。10月15日まで。
  • 現在の盛岡市愛宕町に生まれた米内は、岩手県尋常中学校(現盛岡一高)を卒業後、海軍兵学校に入学。1937年に海軍大臣として入閣。その間、日独伊三国同盟に一貫して反対し、40年には第37代内閣総理大臣に就任。今年は没後70年に当たる。
  • 企画展では、米内や石川啄木ら多くの著名人を育てた教師、冨田小一郎や、米内と海軍兵学校同期で親友の荒城二郎らに宛てた手紙を展示した。中でも目を引くのが40年8月、総理辞任の翌月に日光見物をした米内が荒城に宛てて、日光の感想や世情に対する憂いをつづった手紙。「魔性の歴史といふものは(略)人形政治屋に狂態の踊をおどらせる。踊らされる者共は、こんな踊こそ自分等の目的を達さることの出来る見事にして荘重なものであると思い込んでしまう」と、三国同盟など戦争に向かって突き進む世の流れを案じ、「魔性の歴史」が人々を「険崖(けんがい)に追詰むる」と警鐘を鳴らした。
  • このほか、戦後、啄木の研究家として知られる吉田孤羊に宛てて「国家之安泰と隆盛を祈るのみ」などとつづった手紙のほか、遠洋航海先から無事を知らせる書簡なども公開。(佐藤慶

(2018-06-24 毎日新聞


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