真生(SHINSEI)2018年 no.306
「石川啄木と花」 近藤典彦
第十回 梅
ひと晩に咲かせてみむと、
梅の鉢を火に焙りしが、
咲かざりしかな。
- 作歌は1911年(明治44)1月17日。『悲しき玩具』所収。
- 句読点のある三行書短歌ですから、『一握の砂』ではなく、『悲しき玩具』の一首です。
- わたくしは60年以上にわたって、この歌を啄木にあるまじき無粋な歌だと思ってきました。
- ところが昨年4月、碓田のぼるさん(すぐれた啄木研究者・歌人)と歓談していたとき、談たまたま掲出歌に及びました。碓田さんはこれはいい歌だと思うと言われました。間髪を入れずわたくしも「ほんとにこれはいい歌ですね」と応じていました。目からうろこが落ちたと言おうか、開眼したと言おうか不思議な瞬間でした。わたくしの評価は瞬時の直観でした。その後一年間直観を検証する時間はありませんでした。碓田さんのご示教も参考にしながら、本稿ではじめてこの歌と腰を据えて向き合うことになりました。
- 啄木晩年の親友に丸谷喜市という人がいます。この人がこんなことを書いています。
(明治44年1月3日、啄木を)訪ねたとき……のことである。正月に備えて床の間にしつらへた梅の木の鉢を指して、啄木の言ふには『君、ひと晩のうちに之を咲かせやうと思つて盛んに部屋を暖めて見たが、やはり駄目だった。』これは其のまゝ歌になつて、『悲しき玩具』に載せられてゐる。(そしてこのあとに掲出歌が引かれています。)
- 1911年1月という月は、啄木の生涯でもっとも緊張した日々であったといえるでしょう。年末極秘裏に公判が結審したばかりの幸德事件(天皇暗殺計画事件)について啄木は1月3日に情報を得、1月13日からは土岐哀果と二人で時代閉塞の一角を打ち破るべく、「樹木と果実」という雑誌の創刊を企てます。それにしても、と啄木は考えます。あまりに重苦しい時代閉塞の現状よ!と。
- 1月17日、雑誌社から頼まれた短歌を作っていて、ふと梅の鉢に目をやったようです。見るとつぼみはすっかりふくらんで、今にも咲きそう。
- 梅の木は自ずから咲く日のための営みをしていた。自分にできることは、外から手を加えることではない、花が美しく咲けるよう丹精してやることだ。こう思ってかれは反省し苦笑したことでしょう。そして作ったと思われるのが掲出歌です。
- 1月24日の日記にこうあります。
梅の鉢に花がさいた。紅い八重で、香ひがある。
- 啄木はこんな時代状況の中で、強権(威嚇的な権力)と対峙し鋭く批判しつつ、多くのすぐれた文学作品を遺しました。掲出歌もそうした作品の一つです。
- わたくしは60余年の誤読を以上のように訂正しました。
<真生流機関誌「真生(SHINSEI)」2018年 no.306 季刊>(華道の流派)