〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い息づかいに触れてみたい

 小樽 啄木歌碑除幕式、小樽文学館 啄木と多喜二、旧居 <7>

啄木文学散歩・もくじ
小樽市にリンクを張りました。


(「啄木の息HP 2005年秋」からの再掲 + 2018年早春 + 1999年夏)

  * 写真について 撮影年が記されていないものは2005年撮影



7 小樽公園の啄木歌碑



小樽公園の啄木歌碑 (1999年)

 
花園通りから公園通りへと上がっていくと、小樽公園にぶつかる。
公園は小高い丘にあり、市街地と港がよく見える。 道路から続く石段を登ると小さな広場があり、その前の木立の中に啄木の歌碑がある。

堂々たるこの歌碑の原石は、高田紅果が市内の豊倉で見つけたものである。書体は啄木の筆跡を模した、書家・宇野静山の作。
(「風のごとくに 小樽の啄木」小樽啄木会・編 2012年)



啄木歌碑除幕式パンフレット 昭和26(1951)年11月3日 小樽文学館展示(2018年)


 
         啄木
   こころよく
   我にはたらく仕事あれ
   それを仕遂げて死なむと思ふ


『小樽啄木会沿革史』より
昭和25年啄木会は市文化団体協議会に呼びかけ有識者に諮り建碑期成会をつくり、市議会に請願しその翌年助成金を獲得することに成功し、いよいよ建設する目途がついた。そして歌碑に刻む歌は市民投票最高点の「かなしきは小樽の町よ」が決定された。
市議会側から再審議が要請され、結局歌人小田観蛍、歌人で小樽商大教授の峰村文人、そして会長高田紅果の三人で選んだ「こころよく我にはたらく仕事あれ」の歌が刻まれた。
建設場所は小樽公園入口の高台海向き(花園町元啄木住居の方向)とした。
昭和26年11月3日文化の日に除幕式が挙行された。函館からわざわざ宮崎郁雨氏が参列され、安達市長ほか市会議員、さらに市民多数の参加もあり、NHKではその実況を録音放送した。歌人宮崎郁雨さんは
  碑の面を雨しめやかに来てぬらす
    そのかの日をば思へと如くに
と当日の感想を詠まれた。また高田紅果の喜びはひとしおで、「これで自分の墓が出来たような気がする」と語った。
しかし4年後の昭和30年8月12日、高田紅果は心臓病で数え年65歳で急逝した。宮崎さんも昭和37年3月29日、76才で他界された。啄木を通じて因縁深い二人であった。函館啄木会と小樽啄木会との交流もこの二人の功績である。



古今雛 小樽文学館展示(2018年)

「古今雛」の展示説明  小樽文学館
この雛人形小樽市内の旧家からお借りしたもの。女雛の宝冠の形や着ている十二単(ひとえ)などは、江戸時代中期に流行した古今雛の特徴を備えている。
古今雛は、明和年間(1764〜1771)に作られたものが多く、写実的な容貌と美しい装束が特徴。


雪の市立小樽文学館(2018年)




(つづく)