〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い息づかいに触れてみたい

 小樽 啄木歌碑除幕式、小樽文学館 啄木と多喜二、旧居 <5>

啄木文学散歩・もくじ


(「啄木の息HP 2005年秋」からの再掲 + 2018年早春 + 1999年夏)

  * 写真について 撮影年が記されていないものは2005年撮影


5 水天宮にある啄木歌碑も新装披露



(トイレ脇にあったとき 1999年)


境内に昇格-2005年10月に除幕式
水天宮は海まで400〜500mの距離。小樽の街がよく見える。この地に啄木の歌碑を建立除幕したのは、1980年(昭和55)10月12日だった。
以前、歌碑を訪ねて行ったときは見つけるのが大変だった。境内の外のトイレの脇にあり薄暗く、すぐ前に車も止まっていたので見るのに苦労した。

碑の近くに公衆トイレがある。どちらが先にできたか分からないが、研究者や愛好家の方たちを案内するたびに、「かなしきは小樽の町よ」と揶揄され、恥ずかしい思いをしてきた。
今回、国際啄木学会文学散歩を機会に、水天宮の許しもいただき、啄木夫妻も上ったであろう石垣内の境内に移設された。ここは港を見下ろす景勝地であり、碑前には鏡のように磨かれた御影石が敷かれ、碑の風格は一新し生き返ったようだ。
(「今も息づく啄木」小樽啄木会会長 水口 忠-小樽啄木会HP 2005-11-10)



歌碑が水天宮境内に昇格


今回はこの歌碑が新装披露されていた。小樽みなとライオンズクラブ主催の除幕式が、2005年10月15日に行われたばかりだった。場所も境内の中に昇格し、碑面は新たな門出の顔をしていた。

内地の大都会の人は、落し物でも探す様に眼をキヨロつかせて、せせこましく歩く。焼け失せた函館の人も此卑い根性を真似て居た。札幌の人は四辺の大陸的な風物の静けさに圧せられて、矢張静かに緩慢と歩く。小樽の人は然うでない。路上の落し物を拾ふよりは、モツト大きい物を拾はうとする。四辺の風物に圧せらるゝには、余りに反撥心の強い活動力を有つて居る。されば小樽の人の歩くのは歩くのでない、突貫するのである。日本の歩兵は突貫で勝つ、然し軍隊の突貫は最後の一機にだけやる。朝から晩まで突貫する小樽人ほど恐るべきものはない。
(「初めて見たる小樽」石川啄木 小樽日報 明治40年10月15日・第1号 『石川啄木全集』 第八巻 筑摩書房

   
そして続けて「予は飽くまでも風の如き漂泊者である」から、「小樽人と共に朝から晩まで突貫し、小樽人と共に根限りの活動をする事は、足が弱い予には到底出来ぬ事である」が、「予にとつて何といふ理由なしに唯気持が可いのである」と言う。


  かなしきは小樽の町よ
  歌ふことなき人人の
  声の荒さよ
         啄木


やはり、啄木は突貫する小樽の人を見、「耳に爽快なる活動の行進曲を聞」き、小樽を愛していたのだと思う。



「小樽なつかし写真帖」第52号 2008年11月

啄木の歌のなかで、小樽の名が詠まれたものはこの一首のみである。好況に沸き立つ街の活気をうたっているが、小樽を誹謗するものとの見方もつきまとい、後年にはさまざまな論議を呼ぶこととなる。
しかし啄木は「小樽に来て新開地・植民地的精神の溢れる男らしい活動を見た。男らしい活動が風を起こす。……」と小樽の活力を評す一文も残しており、小樽を誹謗する意図などなかったことは明らかだ。
(「風のごとくに 小樽の啄木」 小樽啄木会・編 2012年発行)


(つづく)