〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

 古里を詠み続けた啄木「かにかくに渋民村は…」


[ヒスイカズラ]


卓上四季「ふるさと」 [北海道新聞]

  • 1907年(明治40)、代用教員の石川啄木は校長と対立して失職、古里の岩手県岩手郡渋民村(現盛岡市)を捨て北海道に渡った。そのため、妻は幼い長女と盛岡の実家に戻り、母は村内の知人宅に居候することに。一家離散である。
  • その時の歌が「石をもて追はるるごとく ふるさとを出でしかなしみ 消ゆる時なし」だ。啄木はその後、一度も帰郷していない。それでも「かにかくに渋民村は恋しかり おもひでの山 おもひでの川」などと、古里を詠み続けた。どれほどつらい思い出ばかりでも、恋しいのが古里なのか。
  • 原発が事故を起こせば、その大切な古里が被害を受けかねない。だが、当の住民に原発建設の是非を選択する権利はない。電源開発大間原発青森県大間町)の建設差し止め訴訟は、そんな不満から原告に加わった函館市民も多い。
  • 函館地裁はきのう、原子力規制委員会の安全審査が済んでおらず運転開始のめども立っていないのだから、危険性を認めることは難しい、と請求を棄却した。

(2018-03-20 北海道新聞


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