〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

 啄木は自由な彗星に己を重ねていたのだろうか


[エケベリア]


石川啄木「雲は天才である」 盛岡市渋民

  • がたごと、がたごと盛岡から北へ。およそ20分、列車の窓が岩手山の絵になった。ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな。渋民駅で降りると、啄木の言葉が迎えてくれた。歌碑ならぬ歌の木札が壁を飾っていたのだ。
  • 墨書したのは、くしくも啄木の本名と同じ名の人。渋民小学校の教員を勤めあげた阿部一(かつ)さんで、いわば啄木のはるか後輩。啄木顕彰にいそしみ、啄木記念館でボランティアの草刈りを欠かさない。「天文が大好きな歌人だったんです」。晴れの日は天文観測、雨の日は飛行船の設計という暮らしにあこがれる人だったという。阿部さんに歌をひとつあげてもらった。

    はうきぼし王座につかずかの虚(こ)空(くう)翔(かけ)る自在を喜びて去る

  • 26年で命つきた啄木は、秩序から自由な彗星(すいせい)の一生に己を重ねていたのだろうか。
  • 20歳で書いたこの小説の舞台となるS村はむろん、渋民のこと。生活困窮のため故郷の高等小学校で1年間、代用教員を勤めたとき、一気に書いた。校長、訓導、女教師との4人ばかりが控えた小さな職員室は、記念館に残る木造校舎にいまもある。(編集委員 内田洋一)

(2017-09-30 日経新聞 夕刊)


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