啄木の息

─ いまもなお瑞々しく語りかけてくる啄木の魅力を追い その息づかいに触れてみたい ─

「矢車草 <3>」-啄木の歌に登場する花や木についての資料-

「矢車草 <3>」


-石川啄木の歌に登場する花や木についての資料-


矢車草

     函館の青柳町こそかなしけれ
     友の恋歌
     矢ぐるまの花



函館公園、それは明治40年の青柳町を扇の形に配置した、文字どおりの要であった。それはまた、啄木が青柳町に住み、この世に没して、あの世に生きるために絶対に欠くことのできない要でもあったのである。
土岐哀果は後年、青柳町を歩くのである。そして、詠うのである。「散歩」と題して。
   そのかみの露探小路をのぞけどもわが啄木は住みてはあらず
   この家に住みきと聞けど古簾かなしき友よ君の妻も亡し
            ---大正7年「緑の地平」から---

(『啄木の函館』 竹原三哉 紅書房 2012年)


これなぞも、「青柳町」における作者の「かなし」い体験を表現するために、「友の恋歌」とか、「矢ぐるまの花」とかの具体性がうたわれているわけだ。しかし、その具体性それじたいが空想的、情緒的な色どりをおびているから、「青柳町」の「かなし」い体験が、よけいに空想的、情緒的に詠むものの心に沁みいるのである。感傷的なのである。

(『石川啄木』近代日本詩人選7 松本健一 筑摩書房 1984年)


このような歌を読んで、読者ははっきりと情景は掴めないながら、その情緒ははっきり掴んで、感動するのだ。こういう歌は作者がごく一部の読者に向って発信した暗号のようなものである。その暗号を解いて初めて面白い歌なら、これらの歌はつまらない。だがこういう歌は、暗号の解けない一般読者にある感じが伝わってきて、愛誦歌となるのだ。
「友の恋歌」とは、これも啄木の仕掛けた暗号であり、誰か知らないがその恋愛歌の作り主には確実に伝わるものである。「矢車の花」も、その家に咲いていたのかと思うが、やって来た同人たちにはすぐ通じるイメージがあろう。
(『漱石 啄木 露伴』 山本健吉 文藝春秋 1972年)


ここに現れる矢車の花は、若い節子夫人の心入れで、そうした部屋にささやかな花瓶に活けこまれていたものか、或いはひょっとすると、この青柳町の家の前あたりの小さな庭に咲きほこっていたのを取入れたものか、その辺のところははっきりしない。矢車の花はドイツの国花であり、花言葉の総称は幸福、国によっては「私はあなたから離れぬ」とか「あなたの要求を入れます」という暗語があるときいたが、いずれにしろ「友の恋歌」と配列されるにふさわしい花であることに間違いはない。

(『歌人啄木』 吉田孤羊 洋々社 昭和48年)


函館を懐かしむ思いを詠んだこの一首は「青柳町」という地名がよく効いている。けれども、どんな地名であっても良いわけではない。「函館(AOAE)」と「青柳(AOAI)」の母音の響きが微妙に重なり合うところが大切なのだ。さらに言えば、初句「函館の」、二句「青柳町こそ」、三句「かなしけれ」はA音から始まって、四句「友」「恋歌」でO音に転調し、結句「矢ぐるま」「花」で再びA音に戻るという流れも見逃せない。下句は名詞句をただ二つ並べただけのように見えるが、ここがもし
  矢ぐるまの花
  友の恋歌
という順序であったならば、一首の調べは途端に悪くなってしまう。つまりこうした語順にも魅力的な韻律を生み出す配慮が働いているのである。

(「現代短歌」松村正直 現代短歌社 2016年3月号)



(「矢車草」つづく)