〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

 啄木は宣言した「詩人は第一にも第二にも第三にも「人」でなければならぬ」

本よみうり堂 書評
 石川啄木論』 中村稔著 青土社 2800円 評・尾崎真理子(本社編集委員

独創的かつ全力の鑑賞

  • 90歳を迎えてなお詩人、弁護士として社会に在る著者が、26歳で生を終えた永遠の青年、石川啄木の境涯を全力で伝える。
  • とりわけ、23歳で書いた「食ふべき詩」(1909年)を、近現代詩史上もっとも画期的な詩論だと評価する。啄木は宣言した。詩人は第一にも第二にも第三にも「人」でなければならぬ、詩は人間の感情生活の厳密なる報告、正直なる日記でなければならぬ――。著者も厳密な報告、正直な鑑賞に徹する。掘り進めるのは啄木を破滅に導いた借金。そこから生じた家族、友人、女性らとの、複雑で不幸な関係である。
  • 後に言語学の泰斗となる中学の先輩、金田一京助をはじめ、多くの人々がさしのべる奇特な援助が、天才の証明のように思われてくる。代用教員も務まらなかった啄木が、「時代閉塞の現状」などで示した卓抜な論評は、小樽、釧路まで新興新聞社を渡り歩くうち、挫折と引き換えに培った筆力によることも知った。読みどころはしかし何といっても、著者の独創的な鑑賞にある。
  • 〈たはむれに母を背負ひて/そのあまり軽きに泣きて/三歩あゆまず〉は、狂気に近い実存の怖れから生じた虚構だと読む。困窮の中でも、ローマ字日記を通じて日本語の声調を解放し、口語自由詩をいち早く芽生えさせた。そして、何の変哲もない日常の瑣末に「詩」を発見した。そこに啄木の新しさがあったと強調してやまない。『一握の砂』中、著者がもっとも好きな歌は、〈高山のいただきに登り/なにがなしに帽子をふりて/下り来しかな〉。
  • 貧苦とはまた別の辛苦を重ねてきた著者に、これほどの情熱をもって語らせる。啄木はやはり底知れない。


(2017-08-14 読売新聞)


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