〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

 啄木観を一新する本『石川啄木論』中村稔 著


[ツバキ]


◯今週の本棚 毎日新聞 東京朝刊
 三浦雅士・評 『石川啄木論』=中村稔・著青土社・3024円 2017年4月発売)


狂気すれすれのところにいた歌人

  • 啄木観を一新する本。これまで誰もまともに啄木を読んでこなかったのではないかとさえ思わせる。著者も例外ではなかった。「石川啄木ほど誤解されている文学者は稀(まれ)だろうと私は考えている。私自身、必要に迫られて啄木を読み直す機会をもつまで、彼を誤解していたと思われる」というのだ。
  • 啄木といえば青春を感傷的に歌った歌人と思われているが、違う。「東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる」で有名な『一握の砂』にしても、青春の感傷に訴えるものではない。広告に啄木自身「青年男女の間に限られたる明治新短歌の領域を拡張して、広く読者を中年の人々に求む」と書いているのである。「東海の」の歌にしても、啄木の人生に置いてみると「人生の辛酸を体験してきた成人の読者の鑑賞にたえる作品」であることがわかると著者は言う。
  • しかし、啄木の真の魅力はこうした作品にあるのではないと著者は続ける。「燈影(ほかげ)なき室に我あり/父と母/壁のなかより杖(つえ)つきて出(い)づ」、「怒る時/かならずひとつ鉢を割り/九百九十九(くひやくくじふく)割りて死なまし」、「どんよりと/くもれる空を見てゐしに/人を殺したくなりにけるかな」、「何がなしに/頭のなかに崖ありて/日毎に土のくづるるごとし」といった作品は啄木が「狂気とすれすれのところにいた」ことを示すが、そこにこそ真の魅力があるのだ、と。
  • 満十九歳で結婚。代用教員になるのが翌年、さらに翌〇七年には函館移住。職を求めて北海道を転々とした後に上京し、朝日新聞に勤務するのが〇九年。一二年、死去。満二十六歳。等身大の生々しい啄木の姿は悽愴(せいそう)として胸を打つ。「狂気とすれすれのところにいた」のは当然だった。
  • だが、熟慮すれば、狂気すれすれこそ人間の姿、日常茶飯の姿である。啄木は考える契機に満ちていると思わせる。

(2017-08-06 毎日新聞


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