[森鴎外記念館]
◎文京区立森鴎外記念館 NEWS No.19 2017年6月
巻頭コラム 「啄木と鴎外―石川啄木記念館の試み」森 義真(石川啄木記念館館長)
- 私どもの郷土が生んだ国民的詩人であります石川啄木は、26年2ヶ月という短い生涯にもかかわらず、歌集『一握の砂』や評論「時代閉塞の現状」など、近代文学史上に輝かしい業績を残しました。
- その啄木の文学的・思想的な功績を讃え、全国の熱心な啄木愛好者からの支援をいただいて、昭和45年、ゆかりの万年山宝徳寺の裏山の中腹に石川啄木記念館が開館しました。記念館の展示室は、啄木の人生に沿った展示と企画展示のコーナーを設けています。中庭には、旧渋民尋常高等小学校の校舎と旧斎藤家という農家の建物があります。どちらも盛岡市の指定文化財です。
- 開館以来館の運営を行っておりました財団法人の解散に伴い、平成25年から盛岡市の施設となり、私どもの(公財)盛岡市文化振興事業団が指定管理を受けて運営しております。新体制になってから新機軸を打ち出して啄木を顕彰する事業を行っております。企画展、啄木ゆかりの地を巡るウォークとバスツアー、ワークショップなどは、地元の方々から「啄木に親しみが持てるようになった」と評価をいただいています。
- 啄木と鴎外の関係は、明治41年観潮楼歌会に啄木が参加したときからです。啄木は「明星」終刊後に、「スバル」の創刊と編集に携わりましたが、この「スバル」の書名は鴎外の発案であり。若き文学者たちの後見人として啄木らの指導にあたったのが鴎外でした。