〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い息づかいに触れてみたい

厳寒の旭川に「列車の窓に花のごと…」啄木


[旭川駅構内の石川啄木像・歌碑 2012年建立]


真生(SHINSEI)2017年 no.303

 石川啄木と花」 近藤典彦
  第八回 窓ガラスに咲く花


  水蒸気
  列車の窓に花のごと凍てしを染むる
  あかつきの色

  • 作歌は1910年(明治43)10月上旬。『一握の砂』(1910年12月刊)所収。
  • 石川啄木は1908年(明治41)1月20日旭川駅で下車しました。釧路新聞に就職のため小樽に老母妻子を置いての単身赴任でした。旭川釧路新聞社長の白石義郎と合流します。一泊して翌早朝の汽車で釧路に向かいました。旭川滞在は15時間余でした。よほど印象が強かったと見えて、2年半後に旭川の歌を四首も作ります。

  名のみ知りて縁もゆかりもなき土地の/宿屋安けし/我が家のごと
  伴なりしかの代議士の/口あける青き寐顔を/かなしと思ひき
  今夜こそ思う存分泣いてみむと/泊まりし宿屋の/茶のぬるさかな
  水蒸気/列車の窓に花のごと凍てしを染むる/あかつきの色

  • 今から7、8年前までは「今夜こそ」までの三首が旭川の歌、四首目は汽車が旭川をずっと離れてからの歌とされていました。「宿屋の茶」がぬるかった、サービスの至らぬ宿だった、ということになります。
  • (しかし)啄木は釧路の寒さをこう書いています。「下宿の二階の八畳間に置き火鉢一つ(では)…いかに硯を温めて置いても、筆の穂忽ちに氷りて、何ものをも書く事が出来ず候」。
  • 三首目の「茶のぬるさ」は1908年(明治41)1月21日朝の厳寒の表現だったのです。この日より6年前の1902年(明治35)1月25日は日本観測史上第一位の、氷点下41度を記録した旭川です。啄木が泊まった朝も氷点下27.1度。猛烈な寒気が天地を覆い、宮越屋旅館にも容赦なく侵入する。熱湯は急須に注ぐとぬるくなる。湯飲みに入れるとなお冷める。厨から運ばれたときには夏の川の水のよう。
  • 四首目は、旭川駅で6時半発釧路行きの始発列車に乗ると、車内の窓窓には千変万化の模様が満遍なく凍り付いています。列車が走り始めてまもなくと思われます。大雪山連峰南部の化雲岳あたりから射して来る光が列車の窓の模様をうす紅く染めかえます。

 〈四首目訳〉水蒸気が、列車の窓窓に花のように凍り付いたのを、うす紅く染めるあかつきの色よ

  • 厳寒の旭川に花は絶無なのに、零下27度の外気とあかつきの色が、列車の窓ガラスに花を咲かせた。啄木はあたかもそう歌ったかのようです。


<真生流機関誌「真生(SHINSEI)」2017年 no.303 季刊>(華道の流派)