〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い息づかいに触れてみたい

 132日間の函館生活と石川啄木一族の墓 <7 (おわり)>

啄木文学散歩・もくじ


7 「僕の心は凾館の空に彷徨ふ」


「市電「谷地頭駅」終点」

 


「なみだは重きものにしあるかな─啄木と郁雨─」遊座昭吾 編


宮崎郁雨「歌集『一握の砂』を讀む」
                明治四十四年一月十七日(火曜日)
  (二四)

  • 僕が啄木と初めて會つたのは四十年の五月五日であつた。
  • 其時の啄木は才気の塊であつた。今でも世の中から一歩でも後れる事を不快がつてゐる否一歩でも世の中から進んで居るでなければ氣の濟まぬ男である。そして實際また進んだ頭脳を持つてゐる。
  • 僕は多大の興味を持つて著者の北海回顧の歌即ち『忘れがたき人人』の章を讀むだのである。

  『潮かをる北の濱邊の
   砂山のかの濱薔薇よ
   今年も咲けるや』
  『凾館の床屋の弟子を
   おもひ出でぬ
   耳剃らせるがこころよかりし』

  • 啄木には函館が何とも云はれぬ懐かしい心のひかれる土地であると云ふ事は此等の歌でよく窺ふ事が出来る。啄木がつひ此頃寄した手紙に斯う云ふ事が書いてある。『凾館は如何なる意味に於ても我が第二の故郷である。僕は北海道を殆んど一周した。然し凾館程なつかしい思出のある土地はない。凾館の人ほど僕に懐かしく思はれる人がない。僕は東京に住むでゐる。然し僕の心は時々凾館の空に彷徨ふのである。僕は凾館で死にたいと思ふ』と云ふ事だ。北海回顧の歌は決して其當時の心を歌つたものではなく著者現在の心を現はしたものである事はこの手紙でも解るのである。著者は『我を愛する歌』で沈痛な深刻な心の叫びを我々に示したが其心を其儘なつかしき北海の地、忘れ難き人々の上に移したのである。『今年も咲けるや』の一句。譬へ様なき著者の温かき心を遺憾なく現はしてゐる。僕はこの様な優れた熱心な歌が北海回顧の歌の首(はじめ)に置かれた事を著者に深く謝するものである。

『なみだは重きものにしあるかな─啄木と郁雨─』遊座昭吾 編 桜出版 2010年
  宮崎郁雨「歌集『一握の砂』を讀む」
  石川啄木「郁雨に與ふ」






「啄木像 考える人 半跏思惟像」


「郁雨に與ふ」在大學病院 石川啄木
             明治四十四年三月七日(火曜日)

(終)
郁雨君足下。
俄に來た熱が予の體内の元氣を燃した。醫者は一切の自由を取りあげた。「寝て居て動くな」「新聞を讀んぢあいけない」と言ふ。もう彼是一周間になるが、まだ熱が下らない。かくて予のこの手紙は不意にしまひにならねばならなかつた。
彼は馬鹿である。彼は平生多くの人と多くの事物とを輕蔑して居た。同時に自分自身をも少しも尊重しなかつた。顧てその病氣をもあまり大事にしなかつた。さうして俄に熱が出たあとで、彼は初めて病氣を尊重する心を起した。馬鹿ではないか。
丸谷君が來てくれて、筆をとつてやるから言へ、と言ふのでちよつとこれ丈け熱臭い口からしやべつた。         (三月二日朝)。

『なみだは重きものにしあるかな─啄木と郁雨─』遊座昭吾 編 桜出版 2010年
  宮崎郁雨「歌集『一握の砂』を讀む」
  石川啄木「郁雨に與ふ」




函館空港 制限エリア通路の石川啄木



(おわり)