◎国語逍遥(83)
「震災詠 真価はむしろこれからだ 清湖口敏」[産経ニュース]
- 関東大震災のとき、もう二、三十分も遅れていたら自分も煙に巻かれていたという菊池寛は「生死の境に於(おい)ては、ただ寝食の外必要のものはない」「『パンのみに生くるものに非(あら)ず』などは、無事の日の贅沢(ぜいたく)だ」と『災後雑感』に書いた。文壇の大御所が文芸の無力を嘆いたのだ。
- 平成23年3月11日に発生した東日本大震災でも、菊池寛同様に慨嘆の声をあげた作家は少なくなかっただろう。歌人、俳人とても同じだったのではないか。産経歌壇の選者を務める小島ゆかりは、発生からちょうど半年となる9月11日付の本紙コラムで「正直に言えば、震災のあとしばらく、わたしは歌を作ることができなかった。あまりに多くの人のあまりに大きな悲しみに打ちのめされる思いがして、心も体もくらくらするばかりだった」と打ち明けている。
- 全国紙の俳壇、歌壇ではやがて「震災詠」が増え始め、とりわけ歌壇ではあふれるほどと言っても過言ではないような日もあった。
- 小島は、「啄木の愛したふるさと、その復興に願いをこめて」との言葉を掲げた「復興応援短歌集」に触れ、高校生の歌3首を挙げた。その一つ。
遠くから
祈ることしか出来なくて
自分の弱さ 思い知る今 高木沙弥花
- 作者は当時、北海道の高校生である。石川啄木に倣った三行書きのこの歌を読んだとき、被災当事者でなくとも心に傷を負った人は確かにいたことに気づかされたのである。もちろん当事者が心身に受けた傷の大きさとは比ぶべくもなかろうが、私たちの心にも間違いなく傷はあった。高校生の高木は若者らしく、心の傷の疼(うず)きをストレートに「自分の弱さ 思い知る今」と詠んだ。これも震災詠にほかならない。
- あれから6年。新聞の歌・俳壇に載る震災詠もめっきり減った。震災詠の真価が問われるのはむしろ、これからのような気がする。
(2017-03-29 産経ニュース)記事