〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

 132日間の函館生活と石川啄木一族の墓 <2>

啄木文学散歩・もくじ


2 啄木小公園

この公園は、哀愁テーマパーク「土方・啄木浪漫館」に隣接している。



大森浜から見る立待岬


尖端の低くなったところに啄木一族の墓がある。






「あずまやの屋根の右端下に啄木像」


岬の右端の一段高いところが函館山







大森浜の啄木像」

札幌出身の彫刻家本郷新氏は、函館時代の啄木が漂泊の悲しみをまぎらすために散策した大森浜の海岸になんとか啄木像を建てたいと念願していた。これを友人である函館棒二森屋百貨店勤務の本山正名氏にはかったところ、本山氏はさっそく社長の渡辺熊四郎氏に相談し、あたたかい賛助の手をさしのべることになった。
こうして渡辺氏を会長に石川啄木記念像建設期成会が結成され、これを知った函館市大森浜の砂山にほど近い市有地を提供してここを啄木小公園とした。本郷氏制作の啄木像はカスリにハカマのいでたちで左手に処女詩集『あこがれ』を持ち、砂に座った姿をあらわしている。台座には本郷氏の要請で高橋錦吉氏が明朝活字体で書いた〈潮かをる〉の歌が、銅板に陽刻されてはめ込まれた。
除幕式は昭和33年10月18日、本郷氏や啄木の女婿石川正雄氏、それに宮崎郁雨氏らが参列し、降りしきる雨の中で挙行された。
(『啄木文学碑紀行』浅沼秀政 著 1996年発行)




「彫刻家本郷新氏制作」の啄木座像


   潮かをる北の浜辺の
   砂山のかの浜薔薇よ
   今年も咲けるや

          [浜薔薇(はまなす)]






「捧 啄木  西条八十


昭和33年、西条八十が来函の際作る。

   眠れる君に捧ぐべき
   矢車草の花もなく
   ひとり佇む五月寒
   立待岬の波静か
   おもひ出の砂ただ光る


     「捧 啄木  西条八十


その詩はお墓に眠る啄木に捧げられたもので、黒い石板に七五調の五行詩として、西条八十の自筆で刻まれている。(『啄木の函館』竹原三哉著 紅書房 2012年発行)






丸刈り頭をうつむかせ、物思いに沈む」

啄木の座像は、細長い敷地の函館山側寄りに、山に背を向けて据えられている。彼の唯一の詩集『あこがれ』を膝に左手で押さえ、丸刈り頭をややうつむかせ、下駄履きの足元に視線を落とすかのようにして、物思いに沈んでいる。夜となく昼となく、半世紀もの長い間、大森浜に寄せる浪が「ドゝゝと砕けて来て、ザーツと砂の上を這い上る」音を聞きながら、かつ、「荒々しい北国の空気に漂ふ強い海の香ひ」をいっぱいに吸ってきたのである。

(『啄木の函館』竹原三哉著 紅書房 2012年発行)





はまなすの丘」


  潮かをる北の浜辺の
  砂山のかの浜薔薇よ
  今年も咲けるや
           啄木

啄木という不世出の歌人がいた。ハマナスの咲く砂丘があった明治の頃、砂丘は三十二万㎡(十一万坪)海抜四十mあった。
この一帯は大森町、高盛町、砂山町に分けられ、砂丘の一番盛り上がっている所が砂山町で、この一帯はスラム街であった。昭和に入り住民はスラム街のイメージを嫌い、昭和十三年に日乃出町と改めたのである。それは、海と砂浜から昇る朝日の美しさからか、それとも生活の豊かさに希望をもとめての日乃出だったのか、今ではわからない。自生のハマナスが咲き乱れ、幾多の時代が変わり、人々も通り過ぎていった。啄木もその一人である。




「ブック型の碑」


「一握の砂」啄木の第一 歌集(東雲堂書店)。
明治43年発刊。序文は藪野椋十(渋川玄耳)。


この碑の裏に歌が刻まれている。
   砂山の砂に腹這ひ
   初恋の
   いたみを遠くおもひ出づる日









「詩集「あこがれ」」


明治38年に刊行された処女詩集「あこがれ」(小田島書房)。
啄木19歳。


上田敏の序詩、与謝野鉄幹の跋文。








「予は此日より夕方必ず海にゆく事とせり」

明治40年 啄木日記


九月五日
夢はなつかし。夢みてありし時代を思へば涙流る。然れども人生は明らかなる事実なり。八月の日に遮りもなく照らされたる無限の海なり。
予は今夢を見ず。予が見る夢は覚めたる夢なり。
予は客観す。予自身をすらも時々客観する事あり。かくて予のために最も「興味ある事実」は人間なり。生存なり。
人間は皆活けるなり。彼等皆恋す。その恋或は成り或いは破る。破れたる恋も成りたる恋も等しく恋なり。人間の恋なり。恋に破れたる者は軈て第二の恋を得るなり。外目に恋を得たる人も時に恋を失へる人たる事あり。
予は此日より夕方必ず海にゆく事とせり。


九月六日
かはたれ時、砂浜に立ちて波を見る。磯に砕くるは波にあらず、仄白き声なり。仄白くして力ある、寂しくして偉いなる、海の声は絶間もなく打寄せて我が足下に砕け又砕けたり。我は我を忘れぬ。

(『石川啄木全集 第六巻』筑摩書房 1986年発行)




津軽海峡と啄木座像」


シルエットになると、だまし絵にみえる。

啄木は光る海を背にしているようにも、光の方向に顔を向けているようにも思える。




(つづく)