〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い息づかいに触れてみたい

 132日間の函館生活と石川啄木一族の墓 <1>

啄木文学散歩・もくじ


1 哀愁テーマパーク「土方・啄木浪漫館」(石川啄木函館記念館)


函館と啄木の関わりは、函館の文芸結社「苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)」によって始まりましたが漂泊生活の出発ともなった函館生活の132日間は、彼の26年の生涯にとって最も楽しく充実した時期であり、さらに最大の援助者となった宮崎郁雨との出会いや、作歌意欲が再燃するなど、特筆される出来事が数多くありました。
(「函館に守り遺されてきた啄木日記」函館市文学館 石川啄木生誕130年記念図録 2016年発行)

「土方・啄木浪漫館」へ向かう道


「土方・啄木浪漫館」は、大森浜を背に国道278号に面して建っている。

  • 昔は湯川から新川まで連なっていた砂丘を大盛(大森)といい、この浜を大森浜、そしてこの砂丘を砂山と呼んだ。啄木が好んで散歩した場所である。そこには、ハマナスの赤い花が汐風で揺れていた。
  • 啄木は132日間を過ごしたこの函館に数々の美しい歌を残しています。明治という遠い時代にそして函館に、哀愁という言葉を残して去った歌人石川啄木
  • 1999年12月、啄木が最も愛した地、函館のはまなすの咲く砂山と大森浜に開館した。

石川啄木函館記念館HPより)





「正面玄関」


1階 武士を超えた義士「土方歳三」ゆかりの愛刀、碁石、尺八等、その他膨大な幕末の資料展示


2階 石川啄木の世界






「浪漫館の右側面」


右の写真(上より)
       ◯ 中学三年の啄木
◯ 釧路の芸者・小奴    ◯ 函館区立弥生尋常小学校の同僚・橘智恵子
◯ 啄木の妻・節子     ◯ 経済的にも支えてくれた親友・宮崎郁雨

などの写真がディスプレイされている。


右端に小さく大森浜湯の川温泉方向の建物が見える。






「入口近く 壁のポスター」


この場所で3/20に開演する。


和太鼓朗読劇 『石川啄木物語〜君に与ふウタ〜』

  • 2017年3月20日(月・祝)
  • 会場:土方・啄木浪漫館

 ①昼の部 10:30〜12:00(受付10:00〜)
 ②夕の部 14:30〜16:00(受付14:00〜)


渋民、盛岡、そして函館、札幌、小樽、釧路、東京…「漂泊の歌人石川啄木」。
いつしか誰かがそう呼んだ。二十六歳で散った命の、その旅の続きを悼みながら。







「2階への階段」


2階にある浪漫シアターは、明治40年の弥生尋常小学校の教室となっている。100名くらい座れる椅子が並ぶ。

袴をはいた啄木先生の等身大ロボットが話をする。よく出来たロボットで、体の向き、顔、手も生きているように動く。







石川啄木ロボットと教室」(「土方・啄木浪漫館」パンフレット)


「みなさんこんにちは。元気そうですね。私は弥生小学校で先生をつとめることになりました石川啄木です。函館に来たのは自分の夢と希望を叶えさせてくれる友達がいるのと、北海道の大地への憧れがあったからです」

大森浜を散歩しながら歌を作っています」

このような、子どもたちへの呼び掛けで始まる。

途中からは啄木を紹介する映画になる。
生まれた頃、文学を志した頃、古里を去り函館に住んだ頃(友人に囲まれ、妻子を呼び寄せ家庭の温もりを感じた)、東京に住み文学の途上で26歳の人生を終えたとき。






◎ 返還された「啄木の歌を書いた旗」

たくさんの資料の中に、日の丸の旗の展示があった。説明には、この旗は「オーストラリア人兵士から、平和が続くようにと返還された」と、あった。

   於 タラカン
   昭和二十年十月十四日
   石川啄木の詩


日の丸を囲むように啄木短歌が書かれていた。

  

  己が名をほのかに呼びて涙せし十四の春にかへる術なし
  函館の青柳町こそかなしけれ友の恋歌矢ぐるまの花
  東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる
  ……
  

  • 哀愁テーマパーク「土方・啄木浪漫館」


(つづく)