真生(SHINSEI)2016年 no.302
「石川啄木と花」 近藤典彦
第七回 ダリア
何か、かう、書いてみたくなりて、
ペンを取りぬ──
花活の花あたらしき朝。
放たれし女のごとく、
わが妻の振舞ふ日なり。
ダリヤを見入る。
- 作歌は1911年(明治44)6月下旬。『悲しき玩具』(1912年6月刊)所収。
- この三行書き短歌には、句読点があります。ダッシュがあります。しかも前の歌は二行目が、後ろの歌は三行目が一字下がっています。こうした表記は第一歌集『一握の砂』にはいっさいありません。第二歌集『悲しき玩具』の特徴です。
- 啄木の三行書き短歌は、句読点・ダッシュ等があれば『悲しき玩具』、無ければ『一握の砂』です。
- 1910年(明治43)6月から1911年6月にかけての約一年間は(そのうち半年近くは病床にあったのですが)「奇跡の一年」といわれています。この間石川啄木は文学者・思想家として、歌・評論・幸徳事件の真相究明と記録等々において偉大な仕事をします。掲出歌を作ったのは「奇跡の一年」の掉尾を飾る時期です。
- 啄木は1911年2月に不治の病に倒れたので、それ以後の仕事は主に病気の小康状態を利用してなされました。
- 一首目は、いかにも花の好きな啄木らしい歌。花活けの花を買ってきたのは妻の節子でしょう。どんなにお金がなくても、啄木はこういう「贅沢」をせずにはいられない人でした。そして生き生きしている「花活の花」を見ると執筆意欲が湧いて、ペンを取ったとうたいます。啄木に活力を与えた花は二首目にある「ダリヤ」。
- 〈解釈〉家その他の束縛から解放されて自由になった女であるかのように、妻がふるまう日である。私はそのふるまいとイメージを重ねつつ、妻の活けたダリアを見入ることである。
<真生流機関誌「真生(SHINSEI)」2016年 no.302 季刊>(華道の流派)