〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

渡辺順三の歌に啄木・哀果の影響を指摘

◎順三忌記念小論
  「渡辺順三の短歌再読」  菊池東太郎

一、渡辺順三短歌批評への新しいアプローチ
二、感傷と現実性

  • 順三の処女歌集『貧乏の歌』(大正13)に次の歌がある。


  夜業終えて、/真黒になりし手を見つつ/ふとしも涙ながれてやまず

  • この歌集は渡辺順三の十六年間の家具徒弟生活の中から生まれたものであることはよく知られている。

  食券を/テーブルの上になげ出せば/カチンとなった、淋しきその音(同)

  • 評者は順三の歌に啄木・哀果の影響を指摘する。啄木模倣の順三短歌といえど、啄木・哀果のような観念的発想はないという評が大方である。それはこの引用歌からも読みとれる。

三、『生活を歌ふ』の批評の在り方

  • 『第二歌集生活を歌ふ』(昭5)の歌をどう批評するか。

  どうにでもなるようになれと/すてばちな、/きもちで今夜もふとんをかぶる。
  これでいいのか、これでいいのかと/目にみえぬ、/力が俺をゆすぶるようだ。

  • この二首を行き交う主観の動揺。

四、短歌革新運動の開始と発展
五、ファシズム吹きすさぶなかで
六、敗戦と民主主義的短歌運動
七、態度のリアリズム
八、短歌のことばについて

  • 渡辺順三は昭和四七年二月二十六日に逝去した。新日本歌人協会はこの二月二十一日に「順三・妙二忌」を持つ。いま「協会」設立、『人民短歌』創刊七十年の年の歳晩である。順三の短歌と短歌観、短歌に対う態度を回顧し、さらなる発展の思いを抱き、この拙稿を終る。

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