〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

2016年暮れ「石川啄木終焉の地歌碑・顕彰室」 <2>

啄木文学散歩・もくじ


 2 「石川啄木顕彰室」


石川啄木顕彰室と歌碑

  • 小石川区久堅町74番地46号(現・東京都文京区小石川5-11-7)
  • 1911年(明治44年)8月7日、啄木は喜之床の二階からこの地の借家に移り、翌1912年4月13日午前9時30分に病没するまで居住した。

引越当日の啄木日記 明治44年(1911)8月7日


八月七日
 本日本郷弓町二ノ十八新井方より小石川久堅町七十四ノ四六号へ引越す。予は午前中荷物だらけの室の隅の畳に寝てゐ、十一時俥にて新居に入りすぐまた横になりたり。いねにすけらる。
門構へ、玄関の三畳、八畳、六畳、外に勝手。庭あり、附近に木多し。夜は立木の上にまともに月出でたり



「顕彰室のドア」

  • 面積 約10平方メートル( 5 × 2 m)
  • 顕彰室は、グループホーム「いつつ星」(医療法人社団 珠泉会)の建物の一部にある。
  • 「いつつ星」のパンフレット(PDF)に「石川啄木顕彰室」の紹介文が載っている。
  • 内部には、石川啄木の人生、文京区と盛岡市の縁、文京区内の啄木ゆかりの地、啄木直筆の書簡(複製)、啄木最後の歌の紹介などがある。
  • 現在は、「山本千三郎・とみ子宛書簡(複製)明治45年(1912)1月24日付」を展示。(展示品は不定期に入れ替える)






ドアを開けるとこのマット

  • 入って右側に、文京区観光案内などのパンフレットが置いてあり、自由に持ち帰れる。


  〇「文京ミューズネットマップ 2016-2017」
    No.1 に「石川啄木終焉の地歌碑・顕彰室」が紹介されている。
  〇「文の京 観光ガイドまっぷ おさんぽくん 文京map」
    小石川「やすらぎ浪漫コース」でも、No.1 に紹介。





内部の壁に直接ディスプレイされた歌

  • ドア越しに撮ったためガラスの映りがある。


   何となく、
   今年はよい事あるごとし。
   元日の朝晴れて風無し。


    新しき明日の来るを信ずといふ
    自分の言葉に
    嘘はなけれど──


   二晩おきに
   夜の一時頃に切通の坂を上りしも──
   勤めなればかな。







石川啄木終焉の地 歌碑・顕彰室 「建碑報告書」
 啄木終焉の地歌碑建設実行委員会

発刊にあたって

  • この報告書は、私たち啄木終焉の地歌碑建設実行委員会の呼びかけにご協力下さいました皆様に、完成のご報告とお礼の気持ちを込めて作成いたしました。
  • 毎年4月13日の啄木忌には、地元町会により啄木終焉の地に献花台が設置され、その前後には近隣の小石川図書館において啄木の講演会が実施される予定です。
  • これからも、多くの皆様のご来場をお待ちしております。





石川啄木終焉の地 歌碑・顕彰室 「建碑報告書」
 啄木終焉の地歌碑建設実行委員会

ごあいさつ

  • 2015年の啄木の命日(4月13日)は、特別の思いで迎えることができました。啄木終焉の地に待望の歌碑が建ったからです。もともとこの場所には「都旧跡 石川啄木終焉の地」という石柱が立っていました。これが7年前の現場再開発時に撤去され、そのままになっていました。
  • 2011年、国際啄木学会東京支部有志の方々から、この地に啄木の歌碑をという強い要望があり、地元住民とともに啄木終焉の地歌碑建設実行委員会を立ちあげました。
  • 運動は地域の住民や国際啄木学会のみなさんはじめ全国の啄木ファン、さらに町会・文京区議・文京区関係職員の方々、そして最後には文京区長の協力を得て、今回の歌碑建設・顕彰室設置へと、進展しました。
  • 運動の最大の力はご寄付をはじめとするみなさまの絶大のお力添えでした。ここにあらためてみなさまに篤く御礼申しあげ、運動の経過と成果とをご報告致します。
  • われわれは今後も啄木の文学と思想を後世に伝えるべく努めるとともに、歌碑を守る地元の後継者づくりにも微力を注ぐ決意であります。

  2015年12月17日
   啄木終焉の地歌碑建設実行委員会会長 地元小石川久堅西町会 井上義一




文の京 お散歩ブック「石川啄木〜愛に支えられた生涯〜」

  • 表紙写真は16歳の啄木。盛岡中学を中退し、文学を志して上京する日に撮影。

文の京 お散歩ブック「石川啄木〜愛に支えられた生涯〜」池田功
  石川啄木終焉の地歌碑建立記念事業(発行 文京区観光協会

「愛され続ける啄木作品」

  • 国語教科書に採用され続ける啄木短歌
    • 多くの人にとって啄木短歌との出会いは、国語教科書ではないでしょうか。
    • 戦前の教科書に採用された啄木短歌の調査によりますと啄木の短歌は2位の若山牧水を抜いて圧倒的な差でトップになっています。そのほとんどは「ふるさとの訛なつかし/停車場の人ごみの中に/そを聴きにゆく」や「汽車の窓/はるかに北にふるさとの山見え来れば/襟を正すも」などの望郷短歌です。
    • 戦後になると、トップであるのは変わりありませんが、歌は異なっています。「いのちなき砂のかなしさよ/さらさらと/握れば指のあひだより落つ」「不来方のお城の草に寝ころびて/空に吸はれし/十五の心」などの、命を愛おしむ歌や若者の夢を託すような歌に変化しています。教科書の啄木のイメージも変化しているのです。

(つづく)