〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

秋田県鹿角と石川啄木をつなぐ縁 <1>

啄木文学散歩・もくじ


秋田県鹿角市

縦に長い四角形をした秋田県。その北東部に鹿角市(かづのし)はある。日本海と太平洋から一番遠く、冬は寒さが厳しい。東は岩手県、北は青森県と接していて十和田湖が近い。
この静かで美しい東北の町に、石川啄木の縁を訪ねた。



1 啄木の母・カツに縁のある「常照寺」


鹿角市十和田毛馬内にある常照寺の門柱


門柱を過ぎ、参道をまっすぐ進む。
参道の右奥に少しだけ見えているのが常照寺の建物である。


この寺は啄木の母・カツに縁がある。



 



『啄木の母方の血脈 ─新資料「工藤家由緒系譜」に拠る─』表紙

工藤家由緒系譜
        工藤常象謹撰


カツ女  工藤カツ
カツ、父は常房、母はツヤ。カツ女、常房の四女にして岩手郡渋民村石川一禎に嫁し、一男三女を生む。長男一、父一禎の跡相続し、長女サダ紫波郡室岡村田村又右衛門長男田村叶に嫁し、二女トラ山本千三郎に嫁し三女ミツあり。





[参考資料]平姓熊谷氏系図 写


常照寺由緒記

奥州南部鹿角郡毛布之郷[毛馬内]摂取心光山常照寺開基俗姓、熊谷小治郎[小次郎]直家二十二代之末孫熊谷六郎直常と号す(後略)


開基釈超栄徳円法師
俗姓者熊谷小治郎[小次郎]直家二十二代六郎直常と号し奥州南部土沢に一宇を建立して居住す寛文六年(午)五月朔日六十八歳にて入寂す


十一世常房 熊谷条作
享和二年(戌)八月九日誕生 直次の実子なり三歳の時父に別れ故有て工藤祐盛に養われて生長す 妻は祐盛の別家工藤乙之助長女なり
安政六年(未)七月四日五十八歳にて死す 法名徳光院一蓮道翁居士妻はチヤ[ツヤ] 慶応三年(卯)九月二十二日死す 法名貞鏡院一安妙心大姉


女子 勝
石川一禎に嫁す 啄木の母なり


(編集者 森 義真・佐藤 静子・北田 まゆみ 
『啄木の母方の血脈 ─新資料「工藤家由緒系譜」に拠る─』2008年)





真言宗大谷派 心光山常照寺


 両親の系譜

啄木の母工藤カツは盛岡藩士工藤条作常房の娘である。条作は工藤忠右衛門祐盛の養子で、その母のヱイは陸中国鹿角郡毛馬内常照寺の九世住職法雲和尚の一人娘であったが、父の死後零落して盛岡に住み、釶屋町の町人山屋半兵衛の妻となった。しかし夫の死後一子条作を連れて別家し熊谷姓を名乗った。これはヱイの先祖が熊谷小次郎直家の末裔と伝えられていたためである。熊谷条作はやがて成長して南部藩士工藤忠右衛門の養子となり、その一族である工藤乙之助の娘チヤを娶って妻とし、七人の子を儲けた。この末娘のカツが啄木の母親である。
(岩城之徳『石川啄木』短歌シリーズ 人と作品10 おうふう 平成6年)




参道の観音様とお地蔵様

三女の勝(カツ)すなわち啄木の母…(中略)…特にいえることは、零落したが由緒ある寺院の出であることを誇りとして、我が子条作に家運の挽回を期待しこれを南部藩士工藤家の養子とした熊谷ヱイと、その孫にあたる啄木の母石川カツには似かよったところがあるように思う。啄木の母も寺を追われて零落したが、夫を頼らず望みをわが子に託し、貧しさの中にも士族の娘として誇り高く生きた。啄木が貧窮の中に示した気位の高さは、この母親の影響によるものであろう。

(岩城之徳『石川啄木伝』 筑摩書房 1985年)


 





常照寺本堂

啄木関係人物略伝


石川カツ
この時代の啄木の母について実家の工藤大助は「シツカリした女にて裁縫を能くし、寺にあつて能く付近の衣服など仕立てあり。日戸時代には年に必ず一回、地方産物を持ち、子女全部を伴い、僕の幼時、僕の家に宿泊に来り、親切にしてなつかしき『オバ』と慕い居りたり。又世話ずきの人なりし、」と語っている。

(岩城之徳『補説 石川啄木傳』 さるびあ出版 1968年)

石川カツ


カツの写真は一枚もない。少女期に結核を病んだせいか、若いころは抜けるように白い肌の小柄な美人であったという。晩年息子からは「母の生存は、私と私の家族とのために何よりの不幸だ!」と日記に書かれ、嫁の節子には「きかぬ気のえぢの悪ひばあさん」と手紙に書かれたカツは、生涯啄木を盲愛・溺愛した。弱い啄木が丈夫に育つようにと、生涯卵と鶏肉を断ち、晩年は好きな茶を断って息子の平復を祈った。
啄木に度重なる挫折があり、それと同じだけの立ち上がりと飛躍があった。啄木のこの打たれ強さは母の絶対的な愛情に因するのではないかと想像するのである。
カツは、南部藩士の末娘として生まれた。仏門に入った次兄の寺で家事手伝いをしているときに、そこで修行中の三歳年下の一禎と結ばれた。当時では珍しい恋愛結婚であった。啄木の嫁節子との不和の部分に、啄木という人物に対する認識の違いがあったように思われる。カツは「石川一」を愛し、節子は「石川啄木」を愛したのである。息子の死に先立つこと一ヶ月、カツは家族を起こすこともなく、ひとりの床でひっそりと冷たくなっていた。

(山下 多恵子『忘れな草 啄木の女性たち』 未知谷版 2006年)     

       


(つづく)