〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

石川啄木が恋した大森浜へ 婦人画報 4月号


[キヅタ]


婦人画報 2016年4月号
◎泣ける!函館

土方をしのび、啄木に切なさを覚え、森田名画の残像を辿り、GLAYに震える。北海道新幹線も開業の春、旅をしましょう、この地へ。


〇桜は散るから美しい 辻 仁成(作家・ミュージシャン)

  • ふと「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」という石川啄木の有名な歌を思い出す。「東海」は日本を、「小島」は北海道、そして「磯」は函館の大森浜を指しているのではないか、と高校時代。それほど白くもない浜辺を歩きながら、私は啄木の人生と重ね合わせ深読みしたものであった。
  • 長い冬を乗り越えた春の函館は実に美しい。五稜郭に、旧市街に、そこかしこに桜が咲く。けれども函館は知っている。「その桜はまもなく泣きぬれるように散るからこそ、今を儚く美しく現すのだ」と。


石川啄木が恋した大森浜へ 池田 功(明治大学教授・文学博士)

  • 私達は4カ月ほどしか住んだことのない土地を、第2の故郷とか、死ぬときはそこで死にたいと考えるでしょうか。石川啄木は、「函館」をそのように手紙に記したのでした。啄木をして、そのように語らせた函館の魅力とは一体どこにあったのでしょうか。
  • その理由として、人の縁と土地の縁を挙げなければなりません。まず、人の縁ですが、当時20代の若者が中心であった苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)の同人たちとの、出会いと語らいです。そこには終生付き合うことになる多くの友人たちがいました。後に妻の節子の妹と結婚し義弟になる宮崎郁雨、終生敬意を持った大島流人など。
  • また、橘智恵子もそうでした。その清楚で知的で明るい人柄に魅力を感じ、「世の中の明るさのみを吸ふごとき/黒き瞳の/今も目にあり」と、この女性に捧げる歌を詠みました。
  • そして土地の縁です。とりわけ啄木が気に入ったのは、当時800メートルは続いていた大森浜。啄木はこの砂浜を何度も何度も散策しました。『一握の砂』冒頭の10首は、人生に絶望し泣き濡れている青年が、海と砂浜に癒され死ぬことをやめて帰宅するというドラマで構成されています。
  • 啄木に、第2の故郷であり、死ぬ時はそこで死にたいとまで思わせた函館。その願いはかなえられ、現在本人だけでなく一族の墓が立待岬にあります。啄木を虜にしてしまった函館には、運命的な出会いと再生の物語があったのでした。


 ・婦人画報 2016年4月号(2016/3/1 発売) 1300円 ハースト婦人画報社
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