〖 啄木の息 〗

石川啄木の魅力を追い 息づかいに触れてみたい

啄木は「生徒には人気のある先生だった」 啄木青春の地 渋民


[ミモザ]


渋民 盛岡市 歌集手に啄木青春の地 中日新聞
   カテゴリー:東北 | 歴史や文化を学びたい | 街歩き・散歩
「ふるさとの山に向(むか)ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」

  • 都会の生活に疲れると石川啄木の歌が心にしみる。啄木のふるさとを訪ねてみようと啄木歌集を手に北へ向かった。新幹線盛岡駅で降り、「IGRいわて銀河鉄道」に乗り換える。
  • 前日からの雪は一段と激しさを増していた。渋民(しぶたみ)駅で降り、タクシーに乗って5分で石川啄木記念館へ。一面の雪。途中、運転手が「今年は雪が多い」と話す。3年前の「啄木没後百年」ポスターのキャッチコピーは「ああ、雪の天国 そは我が故郷」だった。雪もまたよしというべきか。
  • 館内には隣の日戸(ひのと)村で生まれ、渋民村で育った啄木の生い立ちや、友人などに宛てた直筆の手紙や原稿、中には借用証まで展示されている。日戸も渋民も今は盛岡市だ。
  • 記念館のわきには啄木が学び、後に代用教員として勤めた「旧渋民尋常小学校」の校舎、教員時代に寄宿した民家が移築されている。案内してくれた館長の森義真(よしまさ)さんが「校舎の建材は(建築当時の)明治17(1884)年のまま」と言う。
  • 2階の教室に入ると、すえたような木のにおい。黒板も机もいすも当時のまま。啄木が教えたのは1年間だったが、「生徒には人気のある先生だった」と森さん。教壇に森さんが立つと啄木の姿が重なって見えた。「格差問題など、時代閉塞(へいそく)の状況に苦しむ今の若い人にも啄木の歌や評論は共感するところが多い」
  • 記念館の近くに、啄木の父が住職を務め、啄木が1歳から18歳まで暮らした宝徳寺がある。
  • 徒歩で10分ほどの渋民公園には1922年建立の大きな石の第1号歌碑が立っている。「やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」。
  • 26年という短い啄木の生涯。ゆかりの地を訪ねながら、少し苦い青春の思い出がよみがえってきた。(文 朽木直文)

(2015-02-20夕刊 中日新聞

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