[小さな白い水草]
真生(SHINSEI)2015年 no.296
「石川啄木と花」 近藤典彦
第一回 白蘋
- 石川一は「啄木」の前に「白蘋(はくひん)」という雅号を用いていました。盛岡中学四年生終わりの満十六歳から、天才詩人として鉄幹・晶子の雑誌「明星」(1903年12月)にデビューするまでの約一年八カ月です。
- しかし啄木は、宝徳寺近くの用水池の堤に咲く白い夏の花だと言います。それは「堤」に咲くのだから浮き草・水草のたぐいつまり「蘋」ではないでしょう。
- こうして啄木は自分が「白蘋」と名づけた(おそらくとても小さな)花を雅号にしたのでした。花のどこを愛したのかというと、その気高いばかりの白さでした。かれは澄んだ目で「白蘋」を見つめ、その白に思いを凝らし、自分もその花のようでありたいと思ったのでしょう。
- かれが愛した小さな花に菫もあります。そしてこんな逸話があります。
- 盛岡中学校時代、宝徳寺の部屋で短歌を作っているうちに、今が春であることをわすれ、笊を持って裏山に葡萄を採りにゆきます。途中で菫の咲いているのを見て、「ア今は春だナ」と気づいて引き返したそうです。
<真生流機関誌「真生(SHINSEI)」2015年 no.296 季刊>(華道の流派)
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